箱根駅伝「男だろ!」で賛否両論も劇的V…“名物監督”3人の驚くべき言葉の力
1月2、3日の2日間にわたって行われる第98回箱根駅伝。連覇を目指す駒大・大八木弘明監督と2年ぶり王座奪回を狙う青学大・原晋監督は、タイプはまったく異なるが、いずれも駅伝界の名物監督として知られる。駅伝監督こそ後進に譲ったが、現在も山梨学院大陸上部を率いる上田誠仁監督も加えた3人の名物監督を紹介する。【久保田龍雄/ライター】
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ホップ・ステップ・ジャンプで頂点に
自らを“業界の異端児”と定義し、従来の駅伝監督のイメージに縛られることなく、幅広いジャンルで精力的に活動しているのが、原監督である。中京大出身で、箱根を走った経験はなく、中国電力時代には、蓄熱式空調システム「エコアイス」の売り上げで社内トップの成績を挙げた異色の経歴の持ち主だ。
2004年、母校・世羅高OBの紹介で、駅伝強化に取り組みはじめた青学大の監督に就任。雨が降ると朝練を休み、練習が終わると飲みにいくサークル的感覚の部員を規則正しく生活させることからスタートしたが、契約最終年の06年の箱根予選会も16位と惨敗した。
だが、解任危機に際し、1期生たちが「最後の学年を原監督と一緒にやりたい」と強く訴え、もう1年猶予をかち取った。翌年はギリギリ予選通過の10位に入りながら、インカレポイントで逆転されたが、次点校として関東学連選抜チームの監督になったことが、運命を大きく変える。
個々の能力は高いのに、過去の大会で結果を出せなかった寄せ集めチームに「心の絆を持たせる」意識改革を行い、史上最高の4位に躍進させたのだ。この快挙により、大学側も手腕を認め、嘱託から正職員に昇格。翌年、予選会を通過し、33年ぶりの本選出場をはたした青学大は、2年目にシード、7年目に優勝と、ホップ・ステップ・ジャンプで頂点に上り詰めた。
15年の第91回大会では、スローガンの“ワクワク大作戦”が、「不真面目」などの批判も受けたが、結果は2位に10分以上の大差で初優勝。営業マン時代に学んだノウハウをもとに、選手に目標管理シートを提出させ、自主性を育てるとともに、結果が悪くても「笑顔でゴール」と明るいチームカラーを打ち出したことが、駅伝界に新風を吹かせた。
「その年、その年のチームカラーがあるので、いい色に染めるのが私の仕事です」という原監督の今年の箱根のスローガンは“パワフル大作戦”だ。
市役所で働きながら夜は大学
異色の経歴では、駒大・大八木監督も引けを取らない。高校時代はけがに泣き、進学を断念して実業団に入ったが、箱根を走る夢をあきらめきれず、24歳のときに駒大経済学部2部に入学。市役所で働きながら、昼休みと終業後に走り、夜は大学という「もう一度やれと言われてもできない凄まじいスケジュール」を4年間続けながら、1年時に5区、3年時に2区で区間賞を獲得した(4年時は当時の年齢制限で出場できず)。
1995年にコーチとして駒大に復帰。同年のチームは予選突破も危ぶまれていたが、「最後まであきらめない気持ち」を部員に浸透させ、9人目までタイムで負けていたのに、10人目で逆転して、ギリギリ予選通過をはたした。
この修羅場をくぐり抜けた藤田敦史がエースに成長し、翌年も西田隆維ら“黄金世代”が入学するなど、年々戦力も充実。監督初年度の2005年には4連覇も達成し、コーチ、助監督、監督時代を通じて7度の箱根制覇を成し遂げた。
大八木監督といえば、昨年の大会で「男だろ!」の檄を飛ばしたことが賛否両論を呼んだが、直後、声をかけられた選手が発奮し、劇的な逆転Vをもたらしたのも事実だ。
「やっぱり私が真剣に育ててきた子供たちなので、ふだんの練習から大事なところで声が出てしまいます。声がかかった瞬間、“監督が本気でやっているんだから、オレも本気でやらなきゃ”とスイッチが入る感じはあります。どういう言葉をかけるかは、そのときの流れで変わってきます」。今年も勝負どころで、どんな“魔法の言葉”が飛び出すか注目される。
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