箱根駅伝「ごぼう抜き」伝説 最多は前人未到“20人抜き”の日大「ダニエル」

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持ち前の“負けん気の強さ”

 箱根駅伝が現在ほど注目されていなかった昭和40年代に史上最多の12人抜きを記録し、29年間の長きにわたり歴代トップの座を守りつづけたのが、第50回大会(74年)の東農大・服部誠(当時3年)だ。

 相原高時代に高校総体と国体の5千メートルで優勝し、全国高校駅伝1区区間賞と“高校長距離三冠”に輝いた服部は、前年の日本学生選手権の5千メートルで古賀丈雄(国士舘大)、1万メートルで大花弘美(中大)に敗れていた。箱根では、両ライバルと同じ2区で対決するとあって、雪辱に燃える。

 20校中13位で襷を受け取った服部は、スタート直後、前の5校を一気にごぼう抜きすると、一段とスピードを上げた。オーバーペースに気付いたコーチも「彼は人に負けるとか、前を走られることをひどく嫌う」と持ち前の“負けん気の強さ”にすべてを賭けた。

「5キロからあとはマイペース。絶対勝てると思った」と確信した服部は、腰の入った力強いフォームで6位まで浮上したあと、終盤の長い登り坂で2位争いを繰り広げる中大など4校の集団に割って入り、あっという間にかわす。さらに数百メートルにわたる競り合いの末、18.2キロ地点でトップの日大も抜き去り、1位で襷リレー。東農大の往路初Vの立役者になった。

 12人抜きは当時、日大・中村敦士(1962年)ら3選手の8人を大きく上回る新記録。その後、中川の15人に破られるまで、服部は箱根におけるごぼう抜きランナーの代名詞でありつづけた。ちなみに、29年ぶりに服部の記録を塗り替えた中川は、19位から20位・関東学院大の尾田賢典とごぼう抜きの競演を続けながらの快挙で、尾田も服部と並ぶ12人抜きを記録した。

“異次元の走り”で「山の神伝説」

 抜いた人数は一桁ながら、ごぼう抜きとともにハイレベルの争いも演じ、今も名勝負として語り継がれているのが、第68回大会(92年)の順天堂大・本川一美だ。

 9位で襷を受け取った本川は、前を行くライバルたちを次々に追い抜くと、2区で3年連続区間賞のジョセフ・オツオリ(山梨学院大)をも並ぶ間もなく抜き去って2位浮上。さらに早大・櫛部静二もかわし、チームをトップに押し上げたばかりでなく、オツオリに1分4秒差をつけて区間賞も獲得した。

 第72回大会(96年)でも、早大・渡辺康幸が8人抜きで9位からトップ、中大・松田和宏が9人抜きで11位から2位と、山梨学院大のステファン・マヤカ(15位→9位)を蚊帳の外に追いやっての“ごぼう抜き競演”が沿道をわかせた。

 2区以外では、ダニエルが20人抜きを演じた第85回大会で、東海大・佐藤悠基が3区で13人抜きを達成。第81回大会(2005年)では、5区で順天堂大・今井正人が11人抜きの“異次元の走り”を見せて「山の神伝説」を打ち立てた。

昨年の大会で1時間5分49秒の2区新記録を実現し、歴代5位の14人抜きを演じた東京国際大のイェゴン・ヴィンセントが、今年もどんな快記録を生み出すか、注目したい。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2021」上・下巻(野球文明叢書)

デイリー新潮編集部

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