32年前にあった「NHK紅白歌合戦」存亡の危機 島桂次会長は「アジア音楽祭」を画策

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「原点に返るように」

 話を島会長の時代に戻す。島会長はNHKエンタープライズなど関連会社を次々と設立した人でもある。本気で改革を進めていた。紅白が旧来のまま存続するのは難しいと局内外の誰もが思っていた。

 ところが、思わぬ形で島改革は頓挫する。1991年4月の放送衛星打ち上げ失敗に関し、国会で虚偽答弁したことを徹底追及された島会長が、辞任に追い込まれたからだ。

 批判の急先鋒は放送行政を牛耳っていた経世会(旧竹下派などを経て現在は平成研究会、茂木派)の故・野中広務氏だった。当時の衆院逓信委員会委員長である。

 島会長の一連の改革が、経世会には急ぎすぎだと映り、失脚につながったという見方が強かった。また、島改革には民放からの反発も強かった。GNN構想が実現したら、民放はニュース番組で勝負をするのが難しくなるからだ。

 後任会長には芸能畑のエース・川口幹夫氏が就任した。1991年7月末のことだった。紅白との関わりが深く、1953年にアシスタントディレクターとして参加して以来、紅白草創期に12年間担当した。ひばりさんが大トリで81.4%の歴代最高視聴率を記録した1963年の制作統括も川口会長だった。

 川口会長は放送記者クラブ員を対象とする会見で「(紅白存廃の判断は)現場に任せます」と穏やかに語っていたものの、芸能畑の職員が自分たちの看板番組の打ち切りを言いだすはずがない。川口会長の就任によって紅白打ち切りは消滅した。

 GNN構想も立ち消えになった。これが実現していたら、報道畑に予算や放送枠などを奪われ、芸能畑は苦しい立場に追い込まれたに違いない。

 島体制が7月半ばまで続いていた1991年の紅白にはザ・ベンチャーズら8組の海外勢が出場した。だが、最初から川口体制だった1992年の海外勢は韓国のケイ・ウンスクのみ。川口会長は紅白の現場に「原点に返るように」と指示していた。

 みずほフィナンシャルグループ元会長で昨年1月に23代NHK会長となった前田晃伸会長(76)も早々と紅白を変えた。目に見える改革は放送時間の15分短縮だ。

 一昨年まで午後7時15分から同11時45分までの放送だったが、これを同7時30分開始とした。狙いの1つは経費の削減なのだという。

 紅白にはNHK会長のカラーが表れる。

高堀冬彦(たかほり・ふゆひこ)
放送コラムニスト、ジャーナリスト。1990年、スポーツニッポン新聞社入社。芸能面などを取材・執筆(放送担当)。2010年退社。週刊誌契約記者を経て、2016年、毎日新聞出版社入社。「サンデー毎日」記者、編集次長を歴任し、2019年4月に退社し独立。

デイリー新潮編集部

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