32年前にあった「NHK紅白歌合戦」存亡の危機 島桂次会長は「アジア音楽祭」を画策

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美空ひばりをめぐる「ねじれ」

 だが、島会長は自分に非があるとは思わなかった。最低の視聴率に終わった紅白に対する年頭の言葉は極めて厳しかった。通常、NHK会長は放送されたばかりの紅白は自画自賛するものだが、島会長は言外に紅白の存在意義まで否定した。

「公共放送にふさわしい大晦日の番組を職員とともに開発していきたい」(島会長、1990年1月2日)

 もはや紅白は風前の灯と見られた。

 背景にはNHK内の報道畑VS芸能畑の権力闘争もある。NHKはセクショナリズムが強い。報道畑と芸能畑に人事交流はないし、情報を共有することも珍しい。

 その理由は採用方法にもある。来年度からは全国職員採用と地方職員採用にしか分けないが、これまでは記者職やディレクター職などを細かく分けて採用していた。NHKは専門家集団だった。

 島会長も報道畑しか経験がない。自民党宏池会(旧池田派、旧大平派などを経て現岸田派)担当で辣腕と称されていた。

 同党に極めて近く、報道局長時代には「ニュースセンター9時」(「ニュースウォッチ9」の前身)で予定されていたロッキード事件特集の一部を業務命令で中止させたこともある。この事件が故・田中角栄元首相の犯罪を問うものだったのは知られている通りだ。

 一方でNHKの報道は「紅白の女王」を追い詰めた。1972年、ひばりさんの実弟で暴力団と関係があった故・加藤哲也さんが傷害事件を起こし、全国の公共ホールで「ひばり排除」の動きが広まった件を、連日のように大々的に報じた。

 ここで、NHK内でねじれが生じる。各マスコミの報道によって生まれた世間のひばりさん批判を受け、1973年の紅白にはひばりさんを出さないこと決めたものの、芸能畑の故・坂本朝一放送総局長が会見でこう明言したのだ。

「罪、親族におよばず」

 ひばりさん本人の不祥事ではないのに降ろすことになったのが、しのびなかったのだろう。この時の会長は故・小野吉郎氏で、郵政省(現総務省)からの天下りだったが、自民党に極めて近く、報道畑寄りだったとされている。

 一方、坂本氏の心情は不思議ではない。なにしろ、ひばりさんは1957年から1972年まで16回連続で紅白に出場。うち13回トリを務めた。1963年に81.4%の歴代最高視聴率を記録した際の大トリもひばりさん。紅白最大の功労者なのである。

 当時、芸能畑の意見の大半は「本人の問題ではないのだから降ろすべきではない」だったという。それから20年以上過ぎた1990年代にも「あの判断は間違いだった」と苦々しく振り返る芸能畑職員の声を聞いた。だが、「ひばり排除」の世論づくりに一役買ったのは、ほかならぬNHKの報道なのである。

 ひばりさんがNHK側の再三にわたる要請を受け入れ、特別出演という形で紅白に復帰したのは1979年。世論はすっかり収まっており、「リンゴ追分」などの3曲を歌った。

 この時の会長は「罪、親族におよばず」と言った坂本氏だったのである。坂本会長はひばりさんと出演交渉を行うための現場の人事異動も行った。報道畑の人間が会長だったら、ひばりさんの紅白への復帰はどうなっていたか分からない。

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