32年前にあった「NHK紅白歌合戦」存亡の危機 島桂次会長は「アジア音楽祭」を画策

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 今年で72回目となるNHK紅白歌合戦は、1989年の第40回を最後に、幕を閉じようとしていた。同局15代会長の故・島桂次氏がそれを計画したのだ。撤回したのは16代会長の故・川口幹夫氏。紅白の存廃論争の背後には同局の報道畑VS芸能畑の暗闘が見え隠れする。闘争の余波は故・美空ひばりさんにもおよんだ。

「『紅白歌合戦』は今年で最後にしてなくしたい気持ち」(NHK15代会長の島桂次氏)「どんな番組も永遠に生命があるわけではない」(同)

 島会長がそう語ったのは新聞・スポーツ紙の放送記者を対象とした定例会見。1989年9月のことだった。

 記者たちが「紅白が終わるかも知れない」と色めく一方で、芸能畑の局員たちは苦虫を噛みつぶした。自分たちの仕事を否定されたからだ。島会長は政治記者出身の報道畑だった。

 もっとも、島会長は闇雲に紅白打ち切りを言い始めたわけではない。1986年に60%を割った紅白の世帯視聴率(ビデオリサーチ調べ、関東地区)がその後、上向かなった。時代は変わりつつあった。

 それより大きかったのは島会長が報道を重視する国際派だったこと。世界を結ぶ24時間ニュース・ネットワーク「GNN」の設立を目論んでいた。CNNに対抗できるメディアにして、NHKをそのアジアの拠点にしようと考えていた。

 島会長が紅白を終わらせた後の大晦日の番組として考えていたのも、国際色を前面に出した「アジア音楽祭」。一方で「大河ドラマは海外に売れない」などと芸能畑の既定路線は間違いだと言わんばかりの発言を繰り返した。

 島会長による「紅白をなくしたい」という発言の3カ月後に行われた1989年の紅白には、チョー・ヨンピル(71)やキム・ヨンジャ(62)ら5人のアジア・スターが出場した。スタッフが島会長の意向を酌んだものだった。

 もっとも、この年も視聴率は振るわず、当時としては歴代最低の47.0%。理由として、いきなり強くなった国際色に視聴者が戸惑ったこと、島会長の一連の発言にスタッフが萎縮したことなどが考えられた。

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