飯塚繁雄さん 金賢姫とも面会 北朝鮮に拉致された妹の帰国を待ち続けた43年間【2021年墓碑銘】

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「給料の一部を積み立てていた」

 飯塚さんと耕一郎さんは09年、韓国で金賢姫と面会。

「耕一郎さんは、母の面影を知りません。田口さんが北朝鮮で子供たちのことを気にかけていたと聞き、幼な子を置き去りにしたわけではないという心情が理解できました」(西岡さん)

「北朝鮮に拉致された日本人を救出する埼玉の会」の代表、竹本博光さんも言う。

「飯塚さんは田口さんの帰国が実現した時のためにと、長年にわたり給料の一部を積み立てていました」

 救出活動は難航した。

「飯塚さんは工場で働いていたせいか、工程表、納期という言葉が口癖でした。国は拉致問題を重要視していると言うが、動きがない。期限を示し、具体的な救出計画を立て事態を進展させないと、ただ時間が経つばかりだと危惧していた」(西岡さん)

 拉致被害者の有本恵子さんの父、明弘さんは言う。

「ここ数年、体調が悪く、来日したトランプ大統領に拉致問題を伝えるため面会する前には、控室で横になっていました」

 12月18日、83歳で逝去。

 早紀江さんは言う。

「3年ぐらいならと夫の後に代表を引き受けてくれました。もっと早く解決できると思っていたのです。それが亡くなる1週間前まで14年も務めて下さった」

 来たる秋で日朝首脳会談から20年になる。

デイリー新潮編集部

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