34年ぶり主演映画の「烏丸せつこ」 元夫の逮捕、自己破産を乗り越えた波乱万丈人生
年商14億円!
そんな中、81年の映画「駅 STATION」(降旗康男監督)で運命的な出会いが訪れる。言わずとしれた高倉健の主演映画だが、プロデューサーが彼女の夫となる田中寿一(87)だった。
「田中は57年、大学卒業後に東宝に入社しました。62年には三船敏郎の独立に従い三船プロダクションに参加しましたが、79年に内紛騒動が勃発します。田中は三船プロに所属していた竜雷太、多岐川裕美、勝野洋、中野良子らを引き連れて独立し、田中プロモーションを設立しました。一方で、映画プロデューサーとして『駅 STATION』や『海峡』(82年・森谷司郎監督)、『南極物語』(83年・蔵原惟繕監督)、『居酒屋兆治』(同・降旗康男監督)で健さんと組んだ映画を制作し、年商14億円を誇ったこともありました」
辣腕プロデューサーだったわけだ。だが、田中には妻子があった。
「彼は妻と離婚して、82年に烏丸と再婚します。21歳の年の差婚も話題となりました。翌年には長女も生まれ、芸能プロの経営者としても映画プロデューサーとしても順調だったのですが……」
83年暮れには田中プロでも内紛が勃発し、副社長が所属タレントを引き抜いて独立。
「彼がこれまでやって来たことが、ブーメランとなって返ってきたわけです。芸能プロとしての収入がなくなった田中は、映画制作にのめり込んでいくわけですが、ここから歯車が狂い出しました」
次々と失敗
85年、柳葉敏郎や哀川翔らが所属した劇団一世風靡の米山善吉を主演に抜擢し、映画「俺たちの行進曲」(渡辺祐介監督)を製作したものの公開の目途が立たず、資金繰りが悪化し始める。
翌86年に公開された「植村直己物語」(佐藤純彌監督)では900万円の不渡りを出した。
「主演の西田敏行さんは、出演料の一部が未払いだったとも言われています。さらに、日中国交正常化15周年、日中平和友好条約10周年記念作品として88年に公開された日中合作映画『パンダ物語』(新城卓監督)は、10億円の製作費を投じたものの配給収入は5億円止まり。莫大な借金を抱えることになりました」
購入したばかりの戸建ての自宅を抵当に入れ、車も売った。
「91年3月には2度目の不渡りを出し、田中プロモーションは事実上倒産。負債額は2億円と言われました。そこで助け船を出した人がいました。山口組三代目組長・田岡一雄氏の長女・田岡由伎さんです。彼女が娘の目線で田岡組長を描いたエッセー『お父さんの石けん箱』を映画化するため、プロデューサーとして田中を指名したのです。同時に、組長役として上がったのが高倉健さんでした」
まあ、健さんは映画「山口組三代目」(73年・山下耕作監督)にも主演しているから、縁がないことはない。
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