「親の死」は突然やってくる 4000人を見送った納棺師が伝える“後悔しないために”できること

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「父の余命を母から聞いた時でさえ、目の前まで近づいてきている父の死を、わざと見ないようにしていました。大切な人とのお別れは突然やってくることを私は知らなかったのです。」

 そう後悔を語る大森あきこさんは、38歳で保険営業職から転職した納棺師です。この世界に入ったきっかけは実体験にあり、がんで亡くした実父の葬儀で「誰かが作った葬儀に参加している」ようなぎこちなさを感じたものの、納棺式で実父に旅支度をつけ、冷たい体に触れたとき、何かしてあげることができたと少しだけ救われた気持ちになったという。

 以来、4千人以上のお見送りに携わったた大森さんがご遺族に寄り添ってきた体験をまとめた『最後に「ありがとう」と言えたなら』は、ご遺体との最後の時間を心残りなく過ごしてほしいという願いから執筆したという。その一部を抜粋し、ベテラン納棺師が涙した実話をお届けします。

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誰も教えてくれない「大切な人とのお別れの仕方」

 父の余命を母から聞いた時でさえ、目の前まで近づいてきている父の死を、わざと見ないようにしていました。大切な人とのお別れは突然やってくることを私は知らなかったのです。

 離れて住んでいた父のお見舞いの回数が少なかったことも、看病をろくにしなかったことも、10年以上経った今でも後悔しています。死は必ず訪れるものなのに、大切な人とのお別れの仕方を誰も教えてくれませんでした。

父の葬儀で感じた罪悪感

 そして、もうひとつ後悔していることが葬儀です。

 初めての身近な人とのお別れ。看病もろくにしなかった私が……という罪悪感で、誰かが作った葬儀に参加しているような心境でした。それでも納棺式で、父に旅支度をつけ、冷たい体に触れた時、父に何かしてあげることができた、と少しだけ救われた気持ちになったのです。私は父の葬儀をきっかけに納棺師という仕事をしようと決心しました。

 プロとして失格と思われるのを覚悟して告白すると、私は自分の大切な人とのお別れが上手にできなかったことを後悔して、ご遺族のお手伝いをしながら心のどこかでお別れのやり直しをしているのかもしれないと感じることがあります。そして、心が動かされるお別れに出会うと、お手伝いできたことが本当に嬉しいと思うのです。

 どんなご遺族にも、その方だけのお別れの物語があります。

 そして、亡くなった方との結びつきは生きている時とは違う結びつきです。

 私のように、大切な人の死を受け入れられず、自分の心に蓋をして閉じ込めてしまったままでは結び直しは難しい作業になります。

 ご遺族のお手伝いをしていく中で、私は自身の悲しみにも触れ、父の存在がとても大きかったことを知り、以前とは違った形で、父を私の中に感じることができるようになりました。

夢に出てきた父

 ある日、父の夢を見ました。

 私はどこかの葬儀場の大きな霊安室で、10年以上前に亡くなった父の納棺をしています。銀色の鉄板の上に寝ている父は何も変わっていません。がんで亡くなった際は痩せていましたが、夢の中の父は元気な頃の父です。それどころか私が歳をとった分、自分と同じぐらいの年齢に見えるほどです。

 私は何故か傷がないか心配になり、体中チェックをすると、綺麗でホッとしています。

 その時、父がムクッと起き上がり、寝ぼけたような顔であたりを見回しています。

「誰だかわかる?」

 と聞くと父は、

「あき?」

 と私の名前を聞きなれた声で呼びます。

 そうだよって抱きつくけど、父は不思議そうな顔をしています。

「私のこと好き?」

 って聞いたら、父は照れ臭そうに笑ってうなずきました。

 なんだか無理をさせている気がして、

「もう、大丈夫、大丈夫」

 と言って私は父をまた寝かせたのです。

 その後、動かなくなった父を、白装束に着せ替えをしているところで目が覚めました。亡くなった人が起き上がったら普通びっくりするものだけど、すごく嬉しくて夢の中の私は泣いていました。

 私の夢に出てきた父は「生きて出演させてよ!」と怒っているかもしれません。

 しかし、私の想像力は、もはや生きている父より、亡くなった父を蘇らせるほうが、リアルに呼び出すことができたのでしょう。目覚めると、実際に目に涙が残っていました。そして、父を遺体として出演させてしまったことに、困ったモンだなと苦笑いしてしまいました。

 納棺師になり、自分の持つ悲しみにも触れて、心が温かくなったり、冷たくなってしまったり、ブルブルと震えたり、行ったり来たりしながら、自分なりの悲しみの置き場所を作ってきました。

 記憶に蓋をしていた頃は夢にも出てこなかった父が、「頑張ったね」と伝えにきてくれたようで、なんとなく一区切りついたような気がします。

かけがえのない今

 日々、いろんなものを積み重ねて生きている私たちは、同時にたくさんのものを失いながら生きています。

 家族やペット、仕事、友達や学んできたもの、生まれた場所……私は生まれ育った故郷を襲った東日本大震災で、多くの友達を失い、よく行っていた海の様子も変わりました。

 たくさんの喪失を経験するたびに、失ったものの大きさに気づきます。

 もしかすると私と同じように、大切な方を失ったことを思い出すことが辛すぎて、心に蓋をしたまま暗闇を歩いている方もいらっしゃるかもしれません。

 でもそれは、いつか手放す大切なものに囲まれている今が、かけがえのない今だと感じられる機会でもあると思うのです。

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“後悔しないために”葬儀でできること

 大森さんは、大切な人とのお別れについて次のように語っています。

「納棺師としてご遺族のお別れのお手伝いをしていると、ご遺族の中に、亡くなった大切な人と、素敵なお別れの時間を作り出す『お別れの達人』がいます。その人たちが、共通してやっていることは『亡くなった人との時間を振り返る』ことです。

 葬儀や納棺式の時間なら、それが自然にできます。冷たくなった体に触れながら、あの世に旅立つ準備をしたり、思い出の品を棺の中に納めます。そして、葬儀や納棺式でご遺族は、悲しみや思い出を、葬儀に来てくれた人たちと共有するのです。

 この時間は、大切な人が亡くなっても、今までとは形を変えて、また一緒に歩んでいくために必要な大切な時間です。」

※『最後に「ありがとう」と言えたなら』より一部を抜粋して構成。

大森あきこ(おおもりあきこ)
1970年生まれ。38歳の時に営業職から納棺師に転職。延べ4千人以上の亡くなった方のお見送りのお手伝いをする。(株)ジーエスアイでグリーフサポートを学び、(社)グリーフサポート研究所の認定資格を取得。納棺師の会社・NK東日本(株)で新人育成を担当。「おくりびとアカデミー」、「介護美容研究所」の外部講師。夫、息子2人の4人家族。

デイリー新潮編集部

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