電通「鬼十則」を執筆した4代目社長「吉田秀雄」 人見知りする性格で愛称はゴジラ

ビジネス 企業・業界

  • ブックマーク

素顔は人見知り

 1961(昭和36)年、吉田は東洋人として初めて、IAA(国際広告協会)国際広告功労賞を受賞している。

 電通は「葬式から五輪(オリンピック)、万博(万国博覧会)まで」、イベントと名のつくものなら片っ端から手を染めた。「築地本願寺で大物の葬式が多いのは、電通の本社(当時の本社)が近いから」という“都市伝説”が生まれるほど、電通はイベント事業で強みを発揮した。

 売り上げが1兆円を超えたのも、広告会社では電通が世界初である。

 古い部下の証言だ。吉田は人見知りする性格だったが、外に出したりはせず、決してそれを悟らせなかったという。一度会った人に3度目か4度目に会うと、もう100年の知己のようになっていた。そう演じてみせた。そういうところは非常にうまかった。「この人の名前知っているのだろうか」と思うことのある人の肩を気軽に叩くことがあった。あとで聞くと、「初めて会った人」ということもあった。

「贅沢は敵だ」という強烈なキャッチコピーがある。これは戦時体制を強化する目的で作られた。広告は大衆に夢を与える。その一方で、体制側の情報操作にも使われることもある。

愛称はゴジラ

「吉田の愛称はゴジラ」(電通の元役員)。1954(昭和29)年、東宝映画『ゴジラ』が封切られたが、この頃の吉田の呼び名はゴジラだった。

 電通の第9代社長の成田豊(なりた・ゆたか)の綽名もゴジラだった。

 成田は「鬼十則」が発表された2年後の1953(昭和28)年に入社した。社長時代の9年間、新入社員を富士登山に送り出し、翌朝5時半から10時半頃までに下山してくる社員の一人一人を握手で出迎えたと語っている。

 2001年、電通は創立100周年の節目に東証第1部へ株式を上場した。翌年10月、東京・汐留に新社屋が完成した。企業寿命30年説があるが、電通は本社ビルを、ほぼ30年ごとに移転・新築し、その都度、ビルは一回り大きくなっていった。

 時代は移る。電通は吉田秀雄が策定した「鬼十則」について、2017年版から社員手帳などへの掲載を取りやめた。「鬼十則」は長時間労働を助長しかねない電通の企業風土を象徴する心得だとして、2015年末に過労自殺した女性社員(当時24歳)の遺族が問題視したためである。

有森隆(ありもり・たかし)
経済ジャーナリスト。早稲田大学文学部卒。30年間、全国紙で経済記者を務めた。経済・産業界での豊富な人脈を生かし、経済事件などをテーマに精力的な取材・執筆活動を続けている。著書に『日銀エリートの「挫折と転落」――木村剛「天、我に味方せず」』(講談社)、『海外大型M&A 大失敗の内幕』、『社長解任 権力抗争の内幕』、『社長引責 破綻からV字回復の内幕』、『住友銀行暗黒史』(以上、さくら舎)、『実録アングラマネー』、『創業家物語』、『企業舎弟闇の抗争』(講談社+α文庫)、『異端社長の流儀』(だいわ文庫)、『プロ経営者の時代』(千倉書房)などがある。

デイリー新潮編集部

前へ 4 5 6 7 8 次へ

[8/8ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。