電通「鬼十則」を執筆した4代目社長「吉田秀雄」 人見知りする性格で愛称はゴジラ
「鬼十則」は、電通の4代目社長、吉田秀雄が執筆し、社員に配布したものである。10項目は以下の通りだ。(敬称略)
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【写真3枚】鬼十則は過去の遺物!? 働き方改革で夜10時消灯になった電通本社
一、仕事は自ら「創る」べきで、与えられるべきでない。
一、仕事とは、先手先手と「働き掛け」ていくことで、受け身でやるものではない。
一、「大きな仕事」と取り組め、小さな仕事は己を小さくする。
一、「難しい仕事」を狙え、そしてこれを成し遂げるところに進歩がある。
一、取り組んだら「放すな」、殺されても放すな、目的完遂までは……。
一、周囲を「引きずり回せ」、引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地のひらきができる。
一、「計画」を持て、長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生まれる。
一、「自信」を持て、自信がないから君の仕事には、迫力も粘りも、そして厚みすらない。
一、頭は常に「全回転」、八方に気を配って、一分の隙もあってはならぬ、サービスとはそのようなものだ。
一、「摩擦を恐れるな」、摩擦は進歩の母、積極の肥料だ、でないと君は卑屈未練になる。
1951(昭和26)年8月。東京・銀座の本社6階ホールで日本電報通信社(現・電通)の創立51周年式典が挙行された。本社の社員、幹部、約200人を前に、吉田は挨拶した。
創業者と「鬼十則」
《「創業の功労者である光永八火(みつなが・はちひ)先生はまことに電通の鬼であった。八火先生の眼中には電通以外なにものもなかった。いくどか倒産の危機にひんしながら、電通の鬼となることによって、その困難を乗り越え、今日の基礎をお作りになった」》(舟越健之輔著『われ広告の鬼とならん』ポプラ社)。
「八火」は電通の創業者、光永星郎(ほしお)の雅号だ。雅号は画家、文筆家などが本名の他につける風流な別名。徳富蘆花の「蘆花」や夏目漱石の「漱石」などがこれにあたる。
吉田が社員の前で「鬼」について語ったのは、この時が最初である。敗戦直前の1945(昭和20)年2月、創業者の光永は80年の生涯を了えた。
光永の戒名は生前に付けてもらったものだ。「電通院殿釈星昭居士」である。生涯をかけて創り上げた電通の社名をとって戒名にした。
電通の鬼、光永星郎の経営理念を反映した社員の心構えが、吉田が起草した「鬼十則」である。吉田は光永を生涯ただ一人の師と仰ぎ、経営者としての気概、気迫、着眼を学んだ。
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