“どつき漫才”の正司敏江さんが離婚後も玲児さんとコンビを続けた理由【2021年墓碑銘】

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「本気でやらんとしらけてしまう」

 だが、玲児さんの浮気に悩まされ離婚。敏江さんは週刊新潮にこう話していた。

「お客さんは離婚を知ってはる。シーンとして受けへん。私、この男にほかされましてん、と言うたらドッと笑いがきた。別れても一緒に続けたんは、自分の子供がかわいかったし、自分だけええ格好できんと思うたから」

 離婚をネタに話芸も光る。

 放送作家の古川嘉一郎さんも振り返る。

「飾らず陰ひなたのない人。苦しみがあってもそれを見せず自然と笑いにできる。素直で心が温かく、ファンにも芸人にも好かれました」

 玲児さん亡き後も引退しなかった。敏江さんと同じ62年にデビューした漫才師の若井ぼんさんは言う。

「敏江ちゃんに漫才の相手が必要な時に組ませてもらいました。70歳代でも着物の裾をはだけてパンツを見せたりと勢いは全然変わりません。ひとりで漫談の時には客席に下り、どこから来たん、歳いくつ、なんてお客さんをいじり、機転を利かせて進めるのがうまい。歌声も味があります」

 昨年2月まで舞台に立つ。今年8月末に脳梗塞で倒れ、9月18日、80歳で逝去。

 かつて週刊新潮にこうも語っている。

「どついたり叩く芸は本気でやらんとしらけてしまうんや。でもケロッとしておかんといかんよ。ちょっと顔がこわばるだけでもお客さんは引く」

 天性の漫才師だった。

デイリー新潮編集部

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