【対談】川村元気×岩井俊二 映画と小説の作り方はどう違う? 二人が語る“小説沼”とは
お守りを捨てた体験
川村 『神曲』は“目に見えないものを信じること”が大きなテーマですが、岩井さんの作品にはすごく宗教的なものを感じるんです。「リリイ・シュシュのすべて」もそうだし、脚本を書かれた「BANDAGE バンデイジ」なども。韓国映画だと宗教的な要素が入ってくることも多いですが、日本の作品では珍しい気がします。何かきっかけがあるんでしょうか。
岩井 原体験があるとしたら、「幼年時代」という、NHKの少年ドラマシリーズの一作かな。原作は室生犀星の処女作で、自伝的小説といわれるちょっと切ない話なんですが……。主人公の母親が元小間使いで、旦那さんが亡くなったあと、家を追い出されるんです。母に会えなくなった主人公はその後、川でたまたま地蔵を見つけて拾ってきて、それを裏庭にちょこんと置き、“お母さんが達者でありますように”って懸命に祈る。そのシーンが、何とも言えず胸に迫るものがあって……。世の中でいわれる神様仏様より、ここにこそ本当の祈りがあると感動したんです。前後して、小学校6年のときに『銀河鉄道の夜』も読んで感銘を受けて、そんな目線で自分の周りにあった宗教を見ていると、すべてがまやかしに思えてきた。それでとうとう、親からもらって首にぶら下げていたお守りの、中身だけを捨てたんです。親に見つかるとマズいので、外側の袋は残して……。
川村 お守りを開ける、捨てる、という話を今回の小説で書きましたが、実践していた人がこんな身近にいたとは(笑)。
岩井 そう、こっちは正真正銘の実話です(笑)。で、お守りの中のボール紙を捨てて、代わりに「室生犀星」「宮沢賢治」って書いた紙を入れといたんです。
川村 神が室生犀星と宮沢賢治に替わったんですね。
岩井 高校に入る頃にはさらに太宰治に替わりました。
祈りを大事にしたい
川村 神様入れ替えシステム、斬新ですね。ファミコンのカセットみたいだな(笑)。
岩井 しかもどんどんねじれていくっていう(笑)。そういう原体験があって、宗教がたとえまやかしだったとしても、その大本にある信仰心とか敬虔な気持ちには、とても純粋なものを感じるんです。一言で言えば、祈りというものを大事にしたい。それがコアになって、僕の作品にいろんな形で出ているんだと思います。
川村 僕は岩井さんの映画を観て育って、“この人はなんでこんなに自分の気持ちをわかってくれるんだろう”と思ってきたんですけど、それはそういう部分に呼応していたからだったんだなと今日わかりました。僕も、聖書や教会から脱して、自分の神様が音楽や映画に切り替わった瞬間が確かにあって。と同時に不信の塊みたいにもなったし、一方で何かを純粋に信じている人への憧れみたいなものもずっとある。『神曲』ではその両方を書きました。
岩井 この物語を書けたということは、川村さんにもそういうバックボーンがあるのかなと思って読みました。完全に人ごとだとなかなか書けないよね。「リリイ・シュシュのすべて」は、正解のない世界でも祈りの瞬間って必ず訪れるよね、ということを描きたかった。作中で「エーテル」なる概念を持ち出しましたが、そうやってどこか宗教みたいに描きつつ、それを否定する気持ちも、共感もあるっていうアンビバレントな自分をそのまま書きました。
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