【対談】川村元気×岩井俊二 映画と小説の作り方はどう違う? 二人が語る“小説沼”とは
小鳥店を営む家族を襲った悲劇。宗教にすがる母と娘、為す術がない父。「信じる」とは何なのか。神の正体に迫り、連載中に反響を呼んだ長編『神曲』が刊行された。著者の川村元気氏と独自の世界観を持つ映画監督の岩井俊二氏が共鳴する、作品作りの視点とは。
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「週刊新潮」連載を経て上梓した2年半ぶりの長編『神曲』が話題を呼んでいる川村元気さん。映画プロデューサーとしても数々の名作を送り出してきた川村さんと、映画監督として多くのファンを持ちながら小説家としても活躍、今年、最新長編『零の晩夏』を刊行した岩井俊二さん――多彩な表現を行き来する二人が、互いの作品、創作の原点について語りあった。
川村 お久しぶりです。今日は小説について、お話しできるのを楽しみにしていました。映画人で小説を書き続けている人は、あまりいないですよね。
岩井 確かにそうですね。もしかして僕らくらい?
川村 あと西川美和さん、などでしょうか。岩井さんは書く時、話の着想はどこから得ますか。
岩井 きっかけは作品によっていろいろですが、共通しているのは、人物とその佇まいにリアリティが出てくると物語ができるということかな。逆に話の構造だけ作っても、人物ができていないとうまくいかない。職業とか外見とかのいわゆる人物設定ではなく、なんというか、触れられそうな存在感のある「人」がまず必要なんです。映画で俳優が必要というのに近いかもしれない。
川村 なるほど。まずキャラクターなんですね。
岩井 そう。僕が作る物語は意外と人に依存しているんです。だから毎回ゼロからビルドアップするのは大変で、一度作った物語をスピンオフさせるほうが、「人」が既にいてくれる分いい。「花とアリス」も「ラストレター」もそういう作り方で、いきなり2時間の長編映画じゃなく、まず短編を作って、納得してから拡げていった形です。
川村 ある意味、マーベル・スタジオ的ですね。ジョーカーが生まれれば、多様な物語、さまざまな監督を受け入れられる、というか。
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