「櫻井翔」が8大会連続で五輪キャスターに その真髄に迫る
言いよどみながら
伝えるという仕事に関しては、初期の頃、元・日本テレビアナウンサーの福澤朗に言われた言葉を、今年になっても引用し、こう持論を語っている。
「報道番組に携わってすぐの頃、アナウンサーの福澤朗さんが言ってくださったのは、キャスターというのは、椅子に付いているキャスターの名の通りAのことをBのところに運ぶ役割でもある、と。(中略)自分の主義主張を強く、こうあるべきと言うことの役割よりも、取材相手の思いをより多くの人に拡声器となって伝えていく役割。究極的に言うとそれでしかないと思っている」(*3)
もちろん、嵐の楽曲のラップ詞を書き続けてきた櫻井のことだから、自分の言葉を持ち合わせていないわけではない。ファンに向けては、ときに強い言葉で自らのメッセージを届けてきた。だが、キャスター業においてはまずは“拡声器”に自分の役割を見出す。そして、その姿は、客観的と形容をされるようになっていく。しかし、櫻井本人は、客観性がある、と言われたときに、珍しく言いよどみながらこう答えている。
「客観性……あるのかなあ、そういうの。そう言われると、客観的に考えているような気もするし、意外と自分自身、思いのままやってるだけっていう気もするし。その間くらいって言ったほうがいいのかな、どっちもって言ったほうがいいのかな。(中略)客観的に見てるって言ったらカッコイイけど、そういうことじゃない気がするんだよなぁ」(*4)
個人としての櫻井翔を出しやすく
そんな櫻井が、「無難でありきたりのこと」を言わないようにしているときがある。それが、自分が質問者になるときだ。2008年の北京五輪の際、自身の取材姿勢についてこう語っている。
「『がんばれ、ニッポン』だけ言ってれば楽だけど、そうなりたくないという思いが自分の中に強くあるんです。(中略)テレビでは放送しないけど、試合後も記者に混じって会見に参加したりしました。とにかく自分で取材をしておきたい」(*1)
「著作があったら著作を読んで、資料に目を通して、試合のDVDを観て、いわゆる基本情報は漏らさないようにして。『北京への思いは?』『今の心境は?』っていうお仕着せの質問じゃなくて、『僕はちゃんとあなたに興味を持って、あなたの話を聞きたくて、あなたに会いにきたんです』っていう姿勢を、まず認めてもらうための準備をしてますね」(*2)
「がんばれ、ニッポン」とだけ言って場に華を添えるのがタレントの仕事だとすると、櫻井のこの取材姿勢はタレントの域を越えている。
一方で、櫻井は取材するときに、タレントである自分を自覚的に使うこともあるといい、それを“ずるさ”と表現する。
「ある意味僕はずるいんですよ。『嵐・櫻井翔』という人格も半分持ちながら取材するので、心のどこかで、そのことで小さい子供たちが喜んでくれたらいいな、とすら思っているときがある」(*3)
嵐の櫻井翔であることを意識しながら、絶妙にその出し方を変えていく。特に嵐を活動休止した今年、Newsweekに寄稿した6Pと25000字に及ぶ文章は、それが震災と戦争という彼が長年追い続けてきたテーマであることもあってか、強い思いや葛藤が滲んでいた。もしかしたら、嵐という看板を一旦下ろしたことで、個人としての櫻井翔を出しやすくなっているのかもしれない。
最近、戦争をめぐって元日本軍兵士に行ったインタビューが一部から批判を浴びたが、これは長年キャスターをやってきた彼にしては珍しい出来事だった。あえて「無難」から外れたわけだが、それには、質問者の立場だったということに加え、思い入れが強いテーマだったということも関係しているのだろう。
[2/3ページ]