「櫻井翔」が8大会連続で五輪キャスターに その真髄に迫る
キャスター歴は15年
2022年開催の冬季北京オリンピックで、日本テレビ系のスペシャルキャスターを櫻井翔が務めることが発表された。櫻井のキャスター歴は2006年の「NEWS ZERO」に始まり、五輪キャスターについては、2008年の北京から東京まで夏冬計8大会連続となっている。おなじみとなった“キャスター・櫻井翔の真髄について、「ジャニーズは努力が9割」(新潮新書)の著者・霜田明寛氏が迫る(文中敬称略)。
【写真】東京五輪の取材に訪れた相葉雅紀・櫻井翔やジャニー喜多川氏のお別れ会、ジャニー喜多川氏のお別れ会などでの5人の姿
2006年10月。ジャニーズがキャスターを務める――それは大きな驚きをもって迎えられた。52年間続いた「NNNきょうの出来事」の終了に伴って始まる日本テレビ系列のニュース番組「NEWS ZERO」に、嵐のメンバー・櫻井翔が抜擢されたのだ。
当時、ジャニーズ司会者としての先駆者にはSMAPの中居正広がいたが、テレビ朝日系列の「サンデージャングル」など、スポーツキャスター・情報番組のMCといった色合いが強かった。伝統の枠を引き継ぐニュース番組に、ジャニーズ事務所のタレントがキャスターとして出演するというのは前代未聞のことだった。
あれから15年。すっかりキャスターとしての姿も定着した櫻井翔。その来歴を振り返ってみよう。
簡単にできることじゃないわね
櫻井翔は、実はあまり強い主張をするタイプのキャスターではない。
それは今の日本のニュース番組にうまく馴染んでいると言ってもいいかもしれない。筑紫哲也のようなジャーナリストがその役を担った80年代から90年代とは一転、最近では、自分の言葉で主張をしすぎるよりも“客観的である”というスタンスを保ったほうが、無難で好まれる空気は否めない。現在、民放キー局の夜のニュース番組のメインキャスターを務めるのは、全員が現役局員か元局員だ。組織人的なテイストが強いため、主張は控え目な場合が多い。筑紫氏、あるいはかつての久米宏氏、古舘伊知郎氏のようなタイプは、夜のニュースには見当たらなくなった。
櫻井翔は、この仕事に興味をもったきっかけらしきことについてこう語っている。
「テレビ局のアナウンサーがやってるような仕事を僕もできませんか」(*1)
20歳のころ、親知らずを抜くために入院していてテレビをつけると「なまあらし」で共演していたフジテレビの森下和哉アナウンサーが、テレビでインタビューをしていた。それを見て「なんでか知らないけど、妙に悔しかった」、櫻井は事務所にこう直談判したのだった。(*2)
当時は「簡単にできることじゃないわね」と言われたというが、その後、「NEWS ZERO」から仕事の話が舞い込み、現在に繋がっている。
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