TOKYO発表のロゲIOC前会長 五輪改革を手掛けた潔癖な仕事師だった【2021年墓碑銘】

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メダリスト5人が8年以上後に失格

「ロゲ氏は五輪中に選手村に宿泊するようなことから始めた。ドーピングを絶対許さない態度で臨み、若者のスポーツへの関心を高める取り組みはユース五輪の創設にまで至った。品が良く落ち着いていて、重みがありました」(満薗氏)

 ドーピング検査の検体を長期保存させ、検査技術の進歩で後々違反が見つかった場合に処分を科せるようにした。このおかげでアテネ五輪のメダリスト5人が8年以上後に失格となった。

 夏季五輪を28競技300種目、参加選手1万500人に抑えようと力を尽くす。新種目の採用など競技の入れ替えは難航した。

 13年に退任後、名誉会長になるが口を出さなかった。

 8月29日、79歳で逝去。パーキンソン病だった。

 バッハ現会長のもと開催地の提案による競技追加が認められ、今回の東京では史上最多の33競技が行われた。

 64年の東京五輪で国旗の担当者を務め、今回は組織委員会国際局のアドバイザーを担った吹浦忠正氏は振り返る。

「半世紀以上を経て、五輪の商業化、巨大化、そして自国の勝利ばかりに注目するようになった変化を痛感しています。ロゲ氏はスポーツそのものの素晴らしさ、スポーツを通じての友好親善、敬意を静かに訴え、五輪の改革を手がけた。強いイメージのふたりの会長の狭間で貴重な指導者でした」

デイリー新潮編集部

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