TOKYO発表のロゲIOC前会長 五輪改革を手掛けた潔癖な仕事師だった【2021年墓碑銘】
カードを手に「トーキョー」
五輪の招致活動が過熱化するなか、ジャック・ロゲIOC前会長は、招待を受けて候補地を訪れなかった潔癖な人物だったという。サマランチ氏、バッハ氏に挟まれて存在感は薄かったが、ロゲ氏が行った五輪改革とはいかなるものだったのか。
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2020年の五輪開催地を決める投票が行われたのは、13年9月、ブエノスアイレスでの国際オリンピック委員会(IOC)総会。「TOKYO 2020」のカードを手に、「トーキョー」と発表したのが、当時のIOC会長、ジャック・ロゲ氏である。決定に歓喜する招致団の姿とともに、目に焼きつく場面となった。
ロゲ氏にとって開催地発表は最後の大仕事だった。このIOC総会中に、任期満了に伴う会長選挙が行われ、トーマス・バッハ氏が後任に選ばれている。
長年、五輪を取材してきたスポーツジャーナリストの満薗文博氏は言う。
「日本の多くの人にとって、ロゲ氏は東京と発表したあの場面の印象だけで、名前すら記憶にないかもしれません。でも、良い意味で地味で堅実なIOC会長でした。五輪の商業化を進めた前任のサマランチ氏に支持されていましたから、急に独自色を出すのは難しい。それでも五輪の将来を見据えて行動し、成果を出した」
サマランチ氏の路線継承を公言
1942年、ベルギーのヘント生まれ。セーリングの選手として68年のメキシコ五輪以来、3大会連続出場。ラグビーの選手としても活躍した。スポーツ医学の博士号を持つ整形外科医だ。
91年、IOC委員に。98年、理事に就任。IOCは1894年にクーベルタン男爵らヨーロッパの王族や貴族の有志により設立された一種のサロンが源。この組織と五輪が激変したのは、80年にサマランチ氏が会長に就任してからだ。
サマランチ氏は開催地選定で金に糸目をつけないソウルの接待を経験、候補地を競わせるうまみを知る。84年のロサンゼルスで五輪は儲かる興行だと確信した。
98年の長野冬季五輪のように招致活動は過熱する。サマランチ会長は国家元首並みに厚遇され、1票を持つIOC委員も当然のように接待を受けた。だが、ロゲ氏は招待を受けて五輪候補地を訪れなかった珍しく潔癖な人物だ。サマランチ氏の母語のスペイン語も話せるうえ、現場の実務にも長け、重宝される。
01年、サマランチ氏の後任を選ぶ選挙では対立候補に「会長の後ろにくっついて握手しているだけの人間」と揶揄されたが、サマランチ氏の路線継承を公言して圧勝した。
翌年開催のソルトレークシティー五輪招致時の過剰接待がスキャンダルとなり、IOCへの風当たりが強い時期の会長就任。しかもサマランチ氏は終身名誉会長として影響力を残していた。
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