作家「高橋三千綱さん」の楽天と快楽 俳優に刺されても情状酌量を求めた過去【2021年墓碑銘】
底流にある青春というテーマ
芥川賞作家の名に固執せず、ものを創り出すことに妥協しない姿勢を貫いた作家・高橋三千綱さん。「生きているうちにどれだけ幸せになれるか」を大切にしていたが、波乱に富んだ人生を送ったという。その生き方を振り返る。
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『九月の空』で1978年に芥川賞を受賞した高橋三千綱さんは、受賞から40年以上を経た今も、その名がしっかり根付いている。受賞作は剣道に打ち込む高校生を描いた青春小説。まっすぐな作品と共感を呼んだ。当時、高橋さんは30歳。
文芸評論家の縄田一男さんは言う。
「純文学に始まり幅広い分野で書き続けていましたが、青春というテーマはずっと底流にあった。主人公が困難にぶつかり成長する姿や、自分というものに気づく青春の覚醒、どう生きればいいのかを見出そうとする心模様を無理なく描いていました。最近の剣豪小説も登場人物に自然と感情移入ができた。読まれてこそ作家だと、芥川賞作家の名に固執しませんでした」
心に同居する荒くれた部分と温かさ
48年、大阪の豊中生まれ。東京で育つ。父親は高野三郎が筆名の作家で、知人の借金に巻き込まれ生活は暗転する。極貧の時代に買ってもらった学習机を高橋さんは生涯大切に使った。
中学時代に小田実さんの『何でも見てやろう』を読み影響を受けた。サンフランシスコ州立大学に留学し、たくましくも学費と生活費を稼ぎ出していたが、父親の病気が心配で帰国。早稲田大学の文学部に入るが、働いてばかりで中退した。
肉体労働が性に合い地下鉄工事に没頭した時期も。競馬に詳しいからと、73年、東京スポーツ新聞社に記者として入社。インタビューも風俗取材も相手の懐にするりと入り込む。荒くれた部分と温かさが心に同居していた。後に作家の中上健次さんと親しくなる。
アメリカ留学中の体験をもとにした『退屈しのぎ』で群像新人文学賞を74年に受賞。翌年から文筆活動に専念、その3年後に芥川賞を取ったのだから勢いがある。石原慎太郎さんには及ばずともタレント性のある芥川賞作家として人気を集めた。
好奇心旺盛な挑戦者だったが、83年に『真夜中のボクサー』の映画化に取り組んだ時には災難に遭う。役を降ろした俳優の中山一也に逆恨みされ、太ももをナイフで刺されたのだ。全治10日の傷で済んだが、芥川賞作家に対する刺傷事件として大ニュースに。それでも高橋さんは中山の情状酌量を申し入れ、彼は罰金10万円の略式命令で済んだ。
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