酒井政利さん 山口百恵は特別、歌手350人以上を手掛けたプロデュース力【2021年墓碑銘】

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歌手350人以上、総売り上げ8700億円

 南沙織、郷ひろみ、山口百恵などアイドルを次々に定着させた酒井政利さんは、歌手の魅力をいかに引き出すかを考え、彼らを成長させてきたという。酒井さんのプロデュース力とはどのようなものだったのか――。

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 音楽プロデューサーの酒井政利さんが手がけた歌手は350人以上、総売り上げは8700億円にのぼるとされる。

 音楽評論家で尚美学園大学副学長の富澤一誠さんは言う。

「歌手の魅力をいかに引き出すか、曲のテーマやイメージを考え、最適の作詞家、作曲家を選んだ。歌手に考えを押しつけるのではなく、内面をくみとり、曲を作る。歌手を成長させてきました」

 なかでも1973年に14歳でデビューした山口百恵へのプロデュースは特別だ。作詞に千家和也さん、作曲に都倉俊一さんと、当世一流のふたりをつけて臨んだ。

 デビュー曲「としごろ」がまずまずの反応にとどまった後の動きを、酒井さんは週刊新潮に「千家、都倉コンビのまま、次は路線を変えました。清潔感がある百恵さんが歌うなら大丈夫と思い切った曲を頼んだのです」と語っている。

〈あなたが望むなら 私何をされてもいいわ〉と始まる「青い果実」で世間を驚かせ、さらに「ひと夏の経験」で百恵は〈あなたに女の子の一番 大切なものをあげるわ〉とさらりと歌い、トップアイドルとなった。

「動物的ともいえる鋭い勘を持っていた」

 作曲家の都倉俊一さんは回想する。

「細かい指示を出すのではなく、大所高所から見ることができるプロデューサーでした。百恵をどう世に出すかという根本的なイメージを持ち、スタッフを信頼してくれました。私たちが百恵の世界に入り、百恵がどう演じるかというプロジェクトのリーダーのようでもありましたね。言葉を大切にして、タイトル作りなどに動物的ともいえる鋭い勘を持っていた」

 百恵が所属していたホリプロの音楽プロデューサー、川瀬泰雄さんは振り返る。

「酒井さんが話す曲のイメージは感覚的でした。“水面に波紋が広がる感じ”ならわかりやすい方で、“歌わない歌を作ろう”と言われた時には無茶ぶりに驚きました。歌詞を声に出さず、口だけパクパクさせる部分がある『美・サイレント』は話題になりました。『プレイバックPart2』も、“キュルキュルとテープが戻るような感じ”という酒井さんのイメージから具現化したもの。現場は緊張感がありました。新しく良いものを作ろうと挑んでいく人でした」

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