“アングラの女王”李麗仙さん 知人が語る、唐十郎さんとの最期の場面【2021年墓碑銘】
「観客の心の奥底を揺さぶった」
離婚した唐十郎さんとは同志でありライバルでもあった李麗仙さん。二人で劇団を引っ張り、ケンカと思うほどに激しく意見を交わしていたという。李さんが他界した翌日、最期の対面を果たした唐さんが彼女に掛けた言葉とは――。50年来の知人が明かす。
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【写真】柳美里さんの舞台「グリーンベンチ」に出演する李麗仙さん。その演技は観客の心の奥底を揺さぶった
唐十郎さんが主宰する劇団「状況劇場」の看板女優として活躍した李麗仙さんは、1960年代から70年代にかけて「アングラの女王」と呼ばれたスターだ。
李さんは迫力や存在感というありきたりの言葉では表せないほどのエネルギーを全身から発していた。
演劇評論家の大笹吉雄さんは振り返る。
「太い声、眼の力も印象的でした。骨太で男装も似合う。たくましさや時にふてぶてしさを感じさせるかと思えば、華麗さや猛烈な愛情も自然と表現できる。観客の心の奥底を揺さぶりました」
42年、東京・新宿生まれ。在日韓国人3世で出生時の本名は李初子。父親が料理店の経営に失敗、貧苦に直面したが、楽天的だった。都立広尾高校では演劇部で活躍。働きながら舞台芸術学院に通っていた頃、2歳年上の唐さんから劇団に誘われた。
作家の嵐山光三郎さんは思い出す。
「二人の結婚前、唐さんが李さんを連れて私の下宿に遊びに来た。そのまま泊まり、唐さんが李さんの肩に手をかけて寝ていた姿が今もまぶたに浮かんできます。唐さんはすっかり惚れ込んでいました。状況劇場は彼ら二つの才能が先頭を切って突っ走ってきた劇団です」
実力があれば国籍は関係ない
極貧で4畳半一間に暮らし、生活費と公演資金を稼ぐために二人は金粉ショーのダンサーとして全国の盛り場を回ったことも。
テントを使えば自由に劇空間を生み出せると思いつく。67年、新宿・花園神社に設営したテントで演じた「腰巻お仙」で時の人に。新宿西口の中央公園で公演を行い、機動隊が出動したのは今も語り草である。
「自分はともかく李さんまで逮捕されたことを唐さんは気にしていた。作品は李さんを中心に据えて書かれ、演出も彼女の意見を大切にしていました」(嵐山さん)
実力があれば国籍は関係ないと、李の姓で堂々と演じた。帰化して大鶴初子となったのは75年。ひとり息子で俳優の道に進んだ大鶴義丹さんを68年に授かった後だ。
唐さんとは夫婦で同志、お互いを高め合うライバルでもあった。芸に妥協を許さず、納得するまでズケズケ言い合う。ケンカかと周囲が心配する激しさだ。
88年に離婚。以前のように同じ目標に向かっていけなくなった、と李さんは当時言葉少なに語っている。
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