北京五輪 米大統領の「外交ボイコット」発言は正論か 傾聴に値するマクロン大統領の主張

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重い響きがある「ボイコット」

 アメリカ、オーストラリア、イギリス、カナダなどが来年2月の北京冬季五輪の外交ボイコットを発表した。日本でも各方面から外交ボイコットを求める声が上がっている。【小林信也/スポーツライター】

 メディアの論調やネットで見られる世論を集約すると、「外交ボイコットは当然だ」「外交ボイコットをしなければ、日本は中国のウイグル弾圧や彭帥(ほうすい)選手への人権侵害を認めたことになる」、つまり「ボイコットは正論だ」という論調が大勢を占めている。

 こうした気分が日本中に広がっている背景には、今夏の東京五輪を強行したIOCの金権体質に対する嫌悪感があるだろう。本当にIOCがお金目的で東京五輪開催にこだわったのか、バッハ会長は「ぼったくり男爵」なのか? その真偽はともかく、日本国民の多くは「そうだ」と思い込んでいる。

 そんな中、WTA(女子プロテニス協会)を差し置いて彭帥さんと突然電話会談したIOCは、「中国と通じている」「中国の肩を持っている」との印象を与えた。国民の怒りの矛先は、人権を軽視する「中国当局」であり、「信用できないIOC」に向いている。一方で、「選手からオリンピックを奪うのは可哀想」という心理も大勢を占めている。そのため、選手に影響を与えない外交ボイコットを支持する声が高まっているのだろう。

 それにしても、「外交ボイコット」とは一体、何なのだろう。

 各国の発表を総合すれば、「大統領や政府高官が北京五輪の開会式などに参加しない。五輪に関連して訪中しない」という意味だ。「ボイコット」と聞けば重い響きがあるけれど、実は「ただそれだけのこと」なのだ。

 言い換えれば、「外交ボイコット」は見事に計算された政治的キャッチコピーで、アメリカはじめ各国は、オリンピックを政治利用して、中国の人権侵害を効果的に非難し、同時に自国の正当性を最大限アピールすることに成功している。

「自分は行かない」と明言

 日本では、岸田文雄首相が12月7日、記者団に質問されて、

「オリンピックの意義ですとか、さらには我が国の外交にとっての意義などを総合的に勘案し、自らが判断していきたいと思っています」

 と答え、外交ボイコットを明言しなかった。そのため、「決断が遅い」「八方美人では国際的な信用を得られない」などと非難を浴びた。

 16日午前には、参議院予算委員会で、北京冬季五輪・パラリンピックについて、「今のところ私自身は、参加は予定していない」と発言した。

 外交ボイコットという表現を避けているため、また弱腰な印象を与え、この日も多くのメディアや国民を落胆させた。

 しかし、スポーツライターの立場から見れば、岸田首相の答弁は正鵠を得たものだとも感じる。前述のとおり、岸田首相は「自分は行かない」と明言し、事実上、外交ボイコットを宣言したのだ。ただ、その過剰なキャッチコピーは使わなかった。そもそもオリンピックは首相や大統領、各国政府高官の「参加」を前提としていない。だから、大統領や首相が出席しなくても、オリンピックは何ら支障なく開催される。通常、開会式には首脳たちの招待席が用意され、各国の政治的リーダーを排除はしていない。慣例的にオリンピックの開会式前後は外交の舞台となり、多くの首脳会談がオリンピックの舞台裏で行われて来た。だがそれはオリンピックの正式プログラムではない。

 オリンピックの開会式では、開催国の元首がオリンピック憲章に定められたとおりの言葉で開会宣言をする。それが唯一の「参加」であり、表彰式でも、首相や大統領がプレゼンターとして重用される慣例はない。

 アメリカ大統領が、声高に「私は参加しない、北京五輪をボイコットする」などと叫ぶのはスポーツ側から見れば笑止千万、主客転倒もいいところなのだ。岸田首相がアメリカの誘いに乗らず、「外交ボイコット」という本来存在しない奇妙な造語の使用を控えている姿勢は賢明ではないだろうか。

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