株式会社TOKIOの1年目を総括してみると

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長寿化するアイドルの今後

 国分は「なんとなく3人でやる(グループを続ける)ことに対してはみんな反対だった」とも振り返っている(*4)。この会社としての再始動は、長期間の活動を続ける上で“なんとなく”に陥らないための再出発でもあったのだ。1年を走りきり「今まで使っていなかった隅々の脳まで使っている気がする。(中略)今年は間違いなく刺激ある1年だった」と振り返っている。(*8)

 また、ジャニーズ事務所から完全な独立をしなかった、ということも大きな意味をもたらしたように思う。

 松岡の「“会社に残って新しいことをする”っていうことを作っていくべきじゃない?」という意見を受けて、この新しい形を考えていったと国分太一は述懐する。

 そして、会社に対しては「改めてスタートラインに立って、この年齢でも必死に汗かいてるような姿を見せることで、僕らにとってもプラスになることがあるんじゃないか」と説得すると面白がってもらえたという(*9)。

 TOKIOメンバーと同世代のV6の井ノ原快彦は、株式会社TOKIOについて、「実家にいながらも新しいことをやっていくっていうのは『それはそれの生き方があるじゃん』っていうような形で、考えるキッカケになるんじゃないかと思う」と、周囲への影響も含めて称賛(*9)。井ノ原の言う通り、実家にい続けるか/実家を出るか、だけではない選択肢の前例を彼らが作ってくれたことは、長寿化するアイドルの人生設計において、後進にとっても重要な意味をもつことになるかもしれない。

15年前の曲が響く現状

 思えばTOKIOはずっと“お茶の間のスター”だった。僕らと別世界の場所で光り輝くスターではなく、農作業のような自ら額に汗をかくこともしていて、もしかしたら彼らも自分たちと地続きの場所にいるのかもしれないと感じさせてくれる、お茶の間のスター。

 そんな彼らが、自分たちを育てた事務所への恩義を感じ忠誠を誓い続けながらも、新たに始める活動は会社だった。彼らの会社の理念には「参加してくれた人が皆TOKIOに! 皆さんもTOKIOになりませんか」とまである。そこに、やはり彼らは僕らの社会の延長線上にいてくれたんだ――と妙にしっくりくるものがある。だからこそ、TOKIOがくれるのは、別世界の夢ではなく、僕らにも応用可能な勇気なのだ。

 彼らは代表曲「宙船」の中で、多くのリスナーに対して、自らの手でオールを漕げと鼓舞していた。
会社という新たな船を自らの手で漕ぎ始めた彼らに、15年前のバンド・TOKIOが歌っていた曲がより似合い、そして説得力を持って響いてくる1年だった。

(*1)https://ascii.jp/elem/000/004/057/4057471/
(*2)https://www.fumakilla.co.jp/new/4178/
(*3)「MORE」2008年1月号
(*4)フジテレビ「RIDEONTIME」2021年11月26日放送
(*5)https://twitter.com/TwitterJP/status/1468687791458553868?s=20
(*6)JFN系列「国分太一 Radio Box」2021年5月8日放送
(*7)「DIME」2021年8月号
(*8)JFN系列「国分太一 Radio Box」2021年12月10日放送
(*9)フジテレビ「RIDEONTIME」2021年12月10日放送

霜田明寛
1985年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業。9歳でSMAPに憧れ、18歳でジャニーズJr.オーディションを受けた「元祖ジャニヲタ男子」。就活・キャリア関連の著書を執筆後、4作目の著書となった『ジャニーズは努力が9割』(新潮新書)は5刷を突破。また『永遠のオトナ童貞のための文化系WEBマガジン・チェリー』の編集長として、映画監督・俳優などにインタビューを行い、エンターテインメントを紹介。SBSラジオ『IPPO』凖レギュラー。

デイリー新潮編集部

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