株式会社TOKIOの1年目を総括してみると
今年もっともフォローされた著名人
これまで芸能界で生きてきたタレントが、急にビジネス社会の中で生きていけるのだろうかと訝(いぶか)しむ人もいるかもしれない。だが、かつて国分太一は「人と触れあえれば、どうやっても生きていけると思うんです。この業界やめても、どんな田舎に住んでも。自信はある(笑)」(*3)と、“芸能界をやめても生きていける自信”を覗かせていたことがあった。
自ら木を伐採して作った名刺を「寒くなったら燃やしていいんで」とジョークを飛ばしながら名刺交換をするなど(*4)、国分のコミュニケーション能力の高さはビジネス社会においても抜群。この1年を見ると、13年前のこの言葉通りの世界を自ら体現していると言ってもいいだろう。
さらに特筆すべきは、会社として再出発をしたからといって、タレントとしての芸能活動を緩めたわけではないということだ。
「ザ!鉄腕!DASH!!」「TOKIOカケル」といったキー局でのグループの冠番組は変わらず継続中。松岡昌宏は春には舞台に主演、来年1月期には久々の日テレ土曜ドラマ出演も控えている。国分太一は、テレビ東京の東京オリンピック応援団長を務め、城島茂にいたってはこの秋に50歳にして連ドラ初主演を果たすなど、勢いが増しているようにすら見える。さらにはSNSも解禁され、ファンとの距離感も近くなっている。Twitter Japanが発表した「今年もっともフォローされた著名人」ランキングで、国分太一は2位につけた(*5)。
なぜ会社を設立したのか?
タレント業は継続しながら、会社経営が加わる上に、単に経営だけをするのではなく、少人数の会社で自らも社員として稼働するわけだから、当然忙しさは増すだろう。国分太一は、3月と4月を比べて「裏の打ち合わせが4~5倍増えた」と語っていた(*6)。
もちろん、メンバーが減るという転機もあったとはいえ、デビューから25年以上の月日を経て、タレントとしては安定的な活動をしていたTOKIO。なぜ、彼らは会社を設立し、これまでのタレント活動とはまた違う、新たな活動を始めたのだろうか。国分太一はこう語っている。
「メンバーが1人減る時点で絶対にモチベーションが下がると思ったんです。そうなるのが嫌だったので、会社を作るという(※方向に)舵を切りました。多分僕は、モチベーションが下がりそうな時に舵を切って、自分を維持してると思う」(*7)
モチベーションが下がりそうな時に舵を切る―-―。TOKIOが結成された頃、城島茂は19歳で、松岡は13歳、国分は15歳。芸能界という社会で30年以上戦い続ける彼らだが、当然、長い期間を高いモチベーションを保ち続けるのが難しいこともあるだろう。「若干、タレント活動への余裕みたいなものもでてきて、長く続いている番組も多いんで、こうやったらこうなるかなあ、という想像はつくじゃないですか」と国分はタレントとしての“安定期”を語っている。(*8)
国分は「自分たちの尻を叩く」という表現もしていたが(*4)、芸能界に限らず、活動開始直後のどうなるかわからない時期であれば、必死に戦わざるを得ないこともあるだろう。だが、一旦、安定期に入ってしまえば、高いモチベーションがなくても進んでいけることもある。そんなときに、新たな方向に舵を切って、自ら不安定な海に乗り出す。そこでまた必死になることで、新たな世界に出会えるということもあるのだろう。
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