“キックの鬼”沢村忠さんは引退後、9年間消息不明に…その間何をやっていたか【2021年墓碑銘】
半生は漫画「キックの鬼」に
武士道を体現したかのような人柄で、キックボクシングで得たファイトマネーのほとんどを福祉施設に寄付していたという沢村忠さん。天才的な強さを誇った沢村さんの知られざる「横顔」を振り返る。
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人呼んで、キックの鬼。沢村忠さん(本名・白羽秀樹)は、キックボクシングで国民的な人気を誇った。
必殺技の真空飛び膝蹴りは喝采を浴びた。助走なしで垂直に飛び上がり、膝蹴りを頭部に叩き込む。相手はひとたまりもなく崩れる。
1967年からTBSで試合が放送され、その迫力は視聴者を釘付けにした。
実況を担当したTBSの元アナウンサー、石川顕さんは振り返る。
「実況席まで血しぶきが飛んできました。伸び盛りの選手が沢村さんに挑んだ時、沢村さんはローキックだけで倒してしまった。相手の足が赤から紫色へと見る見るうちに変わるのがわかりました。強いだけではない。武士道を体現していました。誰にでも優しい紳士。人間的にも引きつけられました」
半生は、梶原一騎の原作で漫画「キックの鬼」となりテレビアニメ化もされた。
「天才と呼ばれ、スターになってからも一番にジムに来て、誰よりも遅くまで練習していたのです。今、一生懸命練習をしておけばもっと強くなれると言い、自分の旬を客観的に理解していました」(石川さん)
232勝(228KO)5敗4分
43年、満洲の新京生まれ。引き揚げ後、東京で育つ。祖父から武道を学びスポーツは万能。日本大学藝術学部に進んだのは、シナリオを書くことにも興味があったためだ。大学時代に空手の剛柔流で頭角を現す。
キックボクシングはプロモーターとして活躍していた野口修さんが、タイの格闘技ムエタイを参考に考案したもの。野口さんに誘われ、66年、日本キックボクシング協会に参加。沢村さんはブームの立役者となる。
ノンフィクション作家の織田淳太郎さんは言う。
「ファイトマネーのほとんどを福祉施設に寄付していました。武道を儲けの手段にしてはならぬという祖父の教えを守り続けていたのです。どんなに疲れていてもサインに応じ、養護施設への訪問も続けていました」
唯一の贅沢は外車を運転することだった。
77年、34歳で引退を発表。公式の試合だけで232勝(228KO)5敗4分という驚異的な戦績。過酷なスケジュールの中でだ。
引退式後、約9年も消息不明に。満身創痍で廃人になったとまで噂された。
「居場所を突き止めた時、沢村さんは、まっすぐ目を見て話したから信用しよう、と言ってくれました。引退後3年ほど、自動車修理工場の見習い工として月給約13万円で働き、独立。キックボクシングをやり尽くし、新しい人生を一から始めた、車は嘘をつかないからね、と話して下さった。事を荒立てるのが嫌いで、時間はかかっても自分で考え結論を出そうとしていたのです」(織田さん)
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