ラソーダ監督 野茂英雄を息子と呼び、日本のマスコミから守った熱血漢【2021年墓碑銘】
チームはファミリー
メジャーでも活躍した野茂英雄投手を積極的に起用したことで、日本でも知られるようになったドジャースのトミー・ラソーダ監督。チームをファミリー、選手をわが息子と呼び、新人を育てる達人だったというラソーダ監督を偲ぶ。
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1995年、近鉄からドジャースに移籍した野茂英雄投手をトミー・ラソーダ監督は、わが息子と呼んだ。
口先だけの言葉ではなかった。日本のマスコミに追い回される野茂氏を、時には球場の監督室にかくまって守る。悩み事はないか、親身に尋ねる。野球に集中できる環境を整え、野茂氏を信頼し積極的に起用した。
野茂氏は期待に応え、同年に13勝。新人王にもなる。日本球界からメジャーに挑んで輝かしい実績を残した先駆者となった。
メジャーリーグ評論家の福島良一氏は振り返る。
「ラソーダ監督はチームはファミリーだと言い、どの選手にもわが息子のように接した。出場機会を与え、自信をつけさせる。努力を認めてほめ、やる気にさせる。新人を育てる達人でした」
27年、ペンシルベニア州生まれ。イタリア移民の家系だ。45年に投手としてプロ入り。54年、ドジャースでメジャーデビュー。メジャーの3年間で26試合に登板、0勝4敗1セーブは活躍したとは言い難い。
だが、フロントは人物を見ていた。61年、スカウトに登用。さらにドジャース傘下のマイナーリーグの監督に。ロッテのボビー・バレンタイン元監督は68年のプロ入り以来、ラソーダ氏を尊敬する愛弟子だ。選手育成に長けた姿は師と似る。
「率先して動く人」
76年、49歳でドジャース監督に就任。
野球評論家の広岡達朗氏は述懐する。
「60年代から会っています。巨人はドジャースに学んでいて、ラソーダ氏はキャンプに招かれてもいた。率先して動く人で、監督になっても自ら打撃投手を務める。さまざまな国の出身選手がいますから、画一的な教え方では育たないとわかっていた」
9人も新人王を生み出す。
「ほめ言葉ひとつをとっても、どんな表現で伝えれば相手の心を動かすか考え抜いていた。喜怒哀楽を見せない監督が多いなか、陽気な熱血漢で広く愛された名物男でした。一方、丁寧な技術指導で選手を伸ばすタイプではなく、アメリカで必ずしも名監督として評価されていません」(福島氏)
野球評論家の有本義明氏も取材時を思い出す。
「いきなり抱擁されて驚きました。何が見たいんだ、と反対に問われたほどサービス精神が旺盛でした」
ナショナルリーグで4回優勝。ワールドシリーズを2回制覇したが、88年の優勝は語り草になっている。
「初戦9回2死、足にけがをして満足に走れないカーク・ギブソンを代打に起用。劇的な逆転サヨナラホームランで先勝し、選手は発奮、シリーズを制した。けがでも外角のスライダーは打てると読み、その通りになりました」(福島氏)
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