巨人に大型契約でFA移籍したが…あっという間に「不良債権化」した選手列伝
1993年にFA制が導入されてから28年。この間、巨人にFA移籍した選手は、初年度の中日・落合博満から昨オフのDeMA・梶谷隆幸、井納翔一まで12球団最多の計28人に及ぶ。単純計算すると、毎年1人平均の割合で他球団の主力を獲得しつづけていることになる。【久保田龍雄/ライター】
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28人もいれば、入団後、期待どおりの結果を残せなかった選手も少なくない。今オフ自由契約になった陽岱綱も、「5年15億円」という破格の条件で日本ハムからFA移籍したが、5年間1度も規定打席に到達できず、今季はわずか7試合の出場だった。今回は、獲得時の金額に見合わず、“不良債権化”した巨人のFA補強失敗組を振り返ってみたい。
「お金ではなく、舞台だ」
中日時代に最優秀防御率に輝くこと2度、99年の19勝をはじめ、3度の二桁勝利を記録しながら、FA移籍後、輝きを失ったのが野口茂樹である。落合博満監督就任後、正捕手・谷繫元信との相性の悪さや30歳を過ぎて力が衰えたことなどから登板機会が減った野口は、05年10月31日、「環境を変えてやってみたい」とFA宣言。阪神、楽天も興味を示すなか、投手力強化が最重要課題だった巨人がいち早く動き、11月9日の初交渉で基本合意に達した。
そして同17日、契約金8000万円、年俸1億80万円の2年契約で入団決定。交渉中、「お金ではなく、舞台だ」と繰り返し力説した野口は「自分が生かせるところは、ジャイアンツが一番だと思った。ライバルは多いが、先発ができるよう、1軍で投げる機会が得られるよう精一杯努力する」と新天地での活躍を誓った。
だが、翌年は、先発陣に食い込めず2軍スタート。5月14日の西武戦で移籍後初先発初登板をはたしたが、初回にいきなり5点を失い、結局、これがシーズン唯一の登板となった。
翌07年はリリーフで31試合に登板し、5月1日に古巣・中日から移籍後初勝利を挙げたものの、防御率4.30と1億円プレーヤーらしからぬ成績に終わる。さらに選手生命をかけた3年目も、1軍登板のないまま寂しく退団となった。
一方、野口の人的補償で中日に移籍した小田幸平は、落合監督が「大儲けと言っていいんじゃないかな」とほくそ笑んだとおり、第2の捕手兼貴重なムードメーカーとして9年間もチームに貢献している。
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