鹿島建設と鹿島家の「婿取り作戦」 70歳の「新社長」誕生で、女系家族による世襲経営に幕

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建設業界が驚愕した人事

 時代は移る。昭一の後任として9代目社長に建設省OBの宮崎明(1990~1996年)が就いた。初の非同族社長である。第10代社長に梅田貞夫(1996~2005年)が就任した。梅田は京都大学大学院工学研究科を修了して鹿島に入社。初の生え抜き社長が生まれた。

 この間に、一族の新しい世代が後継社長レースに登場してきた。それでも同族による継承に対する各家の思惑には温度差があった。それを象徴する出来事が2005年の社長人事で起きた。2代続いて非同族社長が続いたことから創業家への大政奉還は確実とみられていた。

 前年(2004年)から建設業界紙などでは、「一族の渥美直紀・副社長の社長就任」が既定路線として報じられていた。直紀は大本命の呼び声が高かった。直紀は6代目社長・健夫の長男である。慶應義塾大学法学部卒。50歳の社長適齢期を迎え、「渥美直紀社長、中村満義筆頭副社長」という新体制の人事案までマスコミ辞令として出回っていた。

 ところが蓋を開けてみると、中村満義が11代の社長に就く人事が発表になった。「えっ、社長は渥美さんじゃないの!」。建設業界に思わず驚きの声が上がった。

本家と分家が対立

 記者会見では梅田社長に、「渥美直紀を社長に選ばなかった理由について」の質問が集中したが、「まだ、若いし」と言うだけ。梅田の歯切れは悪かった。

 予想外の人事に「鹿島本家と渥美家、石川家の鹿島一族に異変があったのでは」と囁かれたほどだ。

 後日、ことの真相が明らかになる。直紀の夫人は中曽根康弘元首相の二女・美恵子(みえこ)。鹿島家と政界を結ぶ閨閥(けいばつ)づくりの結晶であった。

 関係筋の話によると、名誉会長の石川六郎は直紀への社長継承を迫ったが土壇場で大逆転。非同族の専務・中村満義の第11代社長への昇格が決まった。鹿島本家の取締役相談役・鹿島昭一が同族経営にこだわらない姿勢を見せたためだといわれている。六郎も最後には折れるしかなかった。昭一には、分家に社長を継がせる気がなかったということだ。

本家の御曹司が退任

 本家と分家の対立が表面化した2年後の2007年6月、本家出身の鹿島光一が取締役に就任した。鹿島の個人筆頭株主で元社長の鹿島昭一取締役相談役の長男。36歳と若く、将来の社長候補というのがもっぱらの見方であった。

 2012年6月、分家の平泉信之が取締役になる。本家の鹿島昭一・光一親子、分家の渥美直紀、石川洋、そして平泉信之と、取締役会のメンバー10人のうち半分の5が創業一族だった。上場している大企業の取締役の半数が創業一族というのは、異例を通り越して異常である、といった辛口の批判もあった。

 2013年の役員人事で光一が取締役を外れた。昭一は本家の跡取りとして長男の光一を後継者に据えると見られていたが、突然、取締役を辞任した。退任を決定できるのは父親の昭一しかいない。当時、親子の確執が取り沙汰された。後継者と期待していた光一が鹿島を去ったことが、昭一が同族経営を断念する契機になったのかもしれない。

 東京五輪向けの特需がなくなった2021年以降、“ゼネコン不況”が到来すると言われている。各社の人手不足も深刻だ。

 鹿島は難局をどう乗り切るのだろうか。「苦しい時の創業家頼み」という言葉もある。
創業家一族の再登板の場面が、はたして訪れるのだろうか。創業家という重石の効用が、再び語り始められている。

註1:この記事は有森氏が上梓した、以下3冊の書籍の内容を踏まえて執筆された。

▽『創業家物語』(2008年7月・講談社)
▽『創業家物語』(2009年8月・講談社+α文庫)
▽『創業家一族』(2020年2月・エムディエヌコーポレーション発行、インプレス発売)

有森隆(ありもり・たかし)
経済ジャーナリスト。早稲田大学文学部卒。30年間、全国紙で経済記者を務めた。経済・産業界での豊富な人脈を生かし、経済事件などをテーマに精力的な取材・執筆活動を続けている。著書に『日銀エリートの「挫折と転落」――木村剛「天、我に味方せず」』(講談社)、『海外大型M&A 大失敗の内幕』、『社長解任 権力抗争の内幕』、『社長引責 破綻からV字回復の内幕』、『住友銀行暗黒史』(以上、さくら舎)、『実録アングラマネー』、『創業家物語』、『企業舎弟闇の抗争』(講談社+α文庫)、『異端社長の流儀』(だいわ文庫)、『プロ経営者の時代』(千倉書房)などがある。

デイリー新潮編集部

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