【袴田事件と世界一の姉】会見に突如現れた巖さん 弁護団が打った「必勝の王手」とは

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捏造といえない弁護士

 40年前の1981年4月の再審請求から弁護団に入った小川弁護士が振り返る。

「発見直前に放り込まれたとなれば、捜査機関の捏造に直結してしまう。本来、そこを突くべきですが、上田誠吉弁護士(故人)など当時の弁護人はそこを攻めなかった。弁護団に参加した私が『警察の捏造だと言わなかったんですか?』と訊くと、上田先生に『捏造だなんて品位を欠くことを言うべきではない』と言われてしまいましたよ」と打ち明ける。

 人ひとりが死刑になりかけているのに「品位がある、ない」も何もない。なぜ上田弁護士は警察の捏造の追及を避けたのか。現在よりはるかに司法試験も難しく超エリートだった当時の弁護士にとって、国家権力に正面から弓を弾くことはできなかったのかもしれない。

 実は冤罪というのは、最初の弁護士の戦略ミスが響いてしまっているケースは少なくない。筆者が取材していた「梅田事件」や「氷見事件」なども、最初の弁護士の対応がまずかった。そうした「戦略ミス」は仕方ない面もあるが、痴漢の冤罪など晴らしても弁護士にはさして名誉にもならない。「どうせ罰金だから認めたほうがいいよ」と言う無責任弁護士も存在し、仕事を失うなど人生を狂わされた男性諸氏もいる。

 袴田事件の三者協議で弁護団は、「事件直後に味噌樽を調べたが衣類はなかった」と証言している高齢の元清水署員について証人申請をしていた。しかし、今回の協議で「不要」と却下された。これについて「捜査側の捏造が明確になってしまうことを裁判所が避けたがっているのでは?」と会見で筆者が問うと、小川秀世弁護士は「一般的に裁判所は論点を増やしたくないのですが、(弁護団の)鑑定などの新証拠で十分と見て、必要なしとしたのだと理解しています」と答え、前向きに捉えていた。(続く)

粟野仁雄(あわの・まさお)
ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に「サハリンに残されて」(三一書房)、「警察の犯罪――鹿児島県警・志布志事件」(ワック)、「検察に、殺される」(ベスト新書)、「ルポ 原発難民」(潮出版社)、「アスベスト禍」(集英社新書)など。

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