「小室眞子さん」の結婚に「雅子さま」は言及されず……ちょうど30年前、ご結婚に大きな進展が
はっきりと思いが伝わらず
12月9日に58歳の誕生日を迎えられた雅子さま。その際に公表された感想に小室眞子さん・圭さんへの言及はなかったので、お二人の結婚についてどのようなお気持ちだったかはわからない。ちょうど30年前には、雅子さまと浩宮さまの結婚も大きく進展していたのだが、その頃のご自身たちのことと比べて、どのような感想を持たれていたのだろうか――。30年前の12月に何があったのか。現在の天皇陛下ご夫妻の結婚に至るプロセスを振り返ってみよう。
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小和田雅子さん(現・皇后陛下、以下、雅子さまとする)と浩宮さま(現・天皇陛下)との出会いは、1986年10月にさかのぼる。外務省勤務の雅子さまは23歳、浩宮さまは26歳。スペイン王女を迎えた東宮御所でのパーティーに、父親の恆氏ら小和田家一同で招待されたのだった。その後、会食などの席を通じ、陛下は雅子さまを「理想の女性」と見るようになる。
雅子さまは1987年の暮れ以降、「お妃候補」として注目を集めるようになった。しかし、そもそも、雅子さまは浩宮さまの思いにピンときていないと思われるフシがあったという。
「浩宮さまがお話になるのは、海外での生活がどうだったかといったものだったようです。共通の話題を突破口にというお考えがあったのかもしれませんが、はっきりと雅子さまへの思いをお伝えになるという感じではなかったようですね」(当時を知る関係者)
お妃リストから消えた後
浩宮さまのお妃選びは20歳を過ぎたあたりからずっと進行してきた。最初のお妃候補は「大学教授の令嬢」とされているが、その他にも、現・上皇陛下のご学友の息女などが浮かんでは消えて行った。
「浩宮さまは“30歳までには結婚を”と周囲に宣言されていましたが、一方ではもちろん、“焦りは禁物”“好きになった人と一緒になりたい”という思いももっておられた。昭和天皇が病にふせっておられた時には、周囲の方が“ご存命のうちに”という風に前のめりになったこともありましたね」(当時、取材に携わっていた記者)
話を雅子さまに戻すと、1988年に外務省からオックスフォード大へ留学。当時は浩宮さまの思いとは裏腹に、交際を否定していた。
「雅子さまがお妃リストから消え、様々なルートでお妃選びがリスタートしたわけです。浩宮さまのご友人の推薦なんかもありました。外部からは悟られないように慎重を期して、候補の女性を含んだグループで交流するなどしていましたね」(同)
そんな中で迎えた30年前、1991年の秋のこと。
「これはもちろん後になってわかったことですが、浩宮さまが最側近に“小和田さんではだめでしょうか?”と伝えられたということでした。1度ではなく何度も、でしたね。そして翌92年の4月に、宮内庁長官がそのお気持ちをたしかめたうえで、雅子さまとの再会がセットされます。8月16日に小和田家と関係の深い元外務次官の邸宅で会った後、2度目が10月3日に宮内庁の新浜鴨場でした」(同)
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