「カムカム」に声だけ出演のさだまさし 紅白出場拒否に無人島購入、借金35億円…意外過ぎる豪快伝説

エンタメ 芸能

  • ブックマーク

「北の国から」秘話

 数々のヒット曲を生み出しているさだだが、中でも“この1曲”といえば、「北の国から~遥かなる大地より~」だろう。81年10月に放送を開始したドラマ「北の国から」(フジテレビ系)の主題歌で、歌詞のない構成が話題となった。この楽曲誕生の裏にもこんな冗談のようなエピソードが残されている。

 それは80年の12月15日。札幌でコンサートがあった翌日のことだった。脚本を担当する倉本聰から「富良野に来られないか?」といきなり誘われたのである。富良野の自宅に向かうと着くやいなや、仮編集された「北の国から」の第1回と第2回のビデオを見せられた。そしてその感動を倉本に伝えると「じゃあ、お前音楽やれ! 今作れ!!」と無茶振りされてしまう。仕方なく第1回のビデオの冒頭を見直しながら、ギターで北海道の広大な土地をイメージしたメロディーラインを奏でつつ、歌いだす瞬間に「♪ああ~ああああああ~」と語尾を下げて発したところ、倉本がいたく気に入ってしまった。そのため続きをそのメロディーラインの流れで作り、ほぼ30分で大まかなイメージが出来上がったのだった。

 では、“なぜこの曲に歌詞をつけなかったのか?”。テレビ局サイドとしては歌詞をつけてヒット曲にして番組を引っ張って欲しかった。ところが当のさだが「あの雄大な北海道の景色を先に観てしまった。その景色の前にはどんな歌詞をつけても勝てない」と判断。倉本も同意見だったため、2人でフジテレビを押し切ったという。

借金を完済

 さだの豪快伝説の中で最も有名なエピソードだ。映画制作で背負った莫大な“借金”である。その映画とは、中国大陸を流れる大河を舞台にしたドキュメンタリー映画「長江」。さだは主演・監督をこなしている。81年11月に公開され、120館で上映され配給収入は約5億円。ドキュメンタリー映画としてはヒット作となったのだが、結果的に金利を含めると“35億円”もの負債が残ってしまう。

 そもそもなぜ映画を作ろうと思ったのか? 実はさだの父方の祖父は、明治の終わりから大正にかけて活動した国際探偵、いわゆるスパイであった。中国大陸からシベリア周辺まで探索して地図を作っていたという。その経緯もあって少年時代から大陸への憧れが強くあったのだ。こうして“長江の最初の1滴を見る”ことをテーマに、手持ち資金2億で映画制作に乗り出すことに。80年、27歳のときにロケが始まったのだが、空撮のために中国軍のヘリを使うなど製作の規模は企画段階よりも遥かにスケールアップしてしまう。

 さらに撮影許可が難航するなど、様々な障壁もあってスケジュールは大幅に超過。人件費が雪だるまのように膨らみ、制作費も大きくなった。結果、29歳にして総額35億円もの大借金を個人で背負うことになってしまったのである。

 だが、ここからがさだの凄いところだった。スタッフは自己破産を勧めたが、律儀に“歌で返す”道を選んだのである。そのため年間100回を超えるペースでコンサートを開催、最も多かった年は162回もの公演をこなしている(82年実績)。こうして歌い続けて迎えた2010年、58歳にして見事、借金を完済したのである。映画の撮影から苦節30年の道のりであった。

 コンサートを精力的にこなしたことでさだは1つの金字塔を打ち立てている。13年7月17日に日本武道館で行われた公演で、ソロコンサート通算4000回という前人未到の偉業を達成したのだ。今年10月、通算4500回に到達。2位以下に圧倒的な差をつける日本記録で、現在も更新中だ。

上杉純也

デイリー新潮編集部

前へ 1 2 次へ

[2/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。