新庄が北海道とファイターズを一つにした伝説の夜 ストライキ明けに「ゴレンジャー」姿で登場(小林信也)

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 1995年に海を渡った野茂英雄は、「ストライキで危機に直面していたMLBを救った」と語り継がれる。

 そのような存在が日本の球界にはいただろうか?

 天覧試合でサヨナラ・ホームランを打った長嶋茂雄。東日本大震災の翌年に無敗の24連勝で東北楽天を日本一に導いた田中将大。そして、もうひとり……。

 プロ野球で史上初のストライキが行われたのは2004年9月18日と19日。優勝争いが佳境を迎えた時期に選手が試合を拒否する事態に衝撃が走った。

 この年、球界再編の嵐が吹き荒れた。発端は6月13日の日本経済新聞朝刊に出た、近鉄とオリックスの合併報道だった。その日午後の記者会見で近鉄バファローズの親会社・近畿日本鉄道の山口昌紀社長が、「回収の見込みのない経営資源を投入するのは、会社の性格上無理。球団経営はお互いに苦しく、2チームが合流して巻き返しを図ろう、となった」と語った。朝日新聞は次のように報じた。

〈年間40億円を超える赤字を抱え、売却先を模索していたプロ野球パ・リーグ、大阪近鉄バファローズと、同じリーグで神戸市が本拠のオリックス・ブルーウェーブが合併に向けて、協議を重ねていることが明らかになった。両球団は今季終了後の合併で基本合意しており、7月の12球団のオーナー会議などで説明を行う。承認が得られてパが5球団になると、1リーグ制を含めた球界再編へ動きが加速しそうだ。〉

 日本中がハチの巣をつついたような大騒ぎになった。そのころ、福岡ダイエーホークス(現ソフトバンク)の親会社ダイエーも経営危機に直面していた。西武ライオンズの親会社・西武鉄道でも社内の不正経理が発覚し、大きく揺れていた。そのため水面下で8~10球団の1リーグ制に移行しようとする動きが進んでいる事実も明らかになった。主導したのは巨人の渡邉恒雄オーナー(当時)とそれに賛同する球団のオーナーだった。

 パ・リーグは6月17日に理事会を緊急招集し、合併を容認した。選手会は翌日すぐ〈議論が十分尽くされていないのに、球団数減少やむなしのムードが作られている。本当に近鉄の買い手はいなかったのか〉と危機感と反対の意思を表明した。そして6月21日、プロ野球実行委員会で他の10球団が合併を了承した。まだ正式ではないが、球界再編に向かった。

 選手とファンを無視した一方的な画策に憤怒したのが日本プロ野球選手会であり、当時会長の古田敦也(ヤクルト)だ。記者の取材に対し、「代表レベルでなく、オーナーたちと直接話したい」と古田が言ったと聞かされると渡邉オーナーは、「無礼なことを言うな。分をわきまえなきゃいかんよ。たかが選手が」と突っぱねた。この発言が激しい反発を生み、日本中に喧々囂々の議論が巻き起こった。その後、選手会と日本野球機構(NPB)との交渉が重ねられたがついに決裂、ストライキが決行されたのだ。

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