バリバリの主力だったのに…なぜか「自由契約」になった選手の“その後”
「寝耳に水です」
日本ハムが国内外にFA権を持つ西川遥輝、大田泰示、秋吉亮の3選手に対し、ノンテンダーを選択したことが、大きな波紋を呼んでいる。ノンテンダーとは、球団が来季の契約をせず、市場に放出することで、メジャーでは、成績などがコストに見合わなくなった選手に対して、よく用いられる手法だ。【久保田龍雄/ライター】
日本ハム側は「ファイターズとの再契約の可能性を閉ざすものではない」と説明しているが、ファンの間で「かなりショック」「ただただビックリ」などの声が相次ぎ、12月6日には、プロ野球選手会の森忠仁事務局長も「『ノンテンダー』という言葉で取り繕っているが、要はただの自由契約」と問題視した。過去にもバリバリの主力なのに、さまざまな理由から自由契約になった選手も少なくない。
まず思い出されるのが、1993年オフ、横浜が高木豊、屋舗要の主力を含む6選手に突然戦力外通告を行った事件だ。
同年はFA制度のスタート1年目。高木は「今年から得られた権利。十分考えるに値するものだと思う」と前向きに検討し、屋舗は「まだ白紙の状態。シーズンが終わって、球団と話し合ってからになるだろう」と“五分五分”を匂わせていた。
そんな矢先の11月8日、二人は球団から呼び出される。てっきりFA宣言の意思確認と思いきや、「来期は圭、屋舗も「16年間、この球団でやってきたのに納得いきません。人間不信になりそう」と怒りをあらわにした。
高木は年俸9840万円、屋舗は4800万円(いずれも推定)。当時横浜はFA宣言した巨人・駒田徳広の獲得に動いていたことから、「駒田の獲得資金捻出のためでは?」の憶測も飛び交った。
屋舗は11月13日に巨人に入団。高年俸がネックとなり、一時は引退の可能性も浮上した高木も12月7日に日本ハムへの移籍が決まった。その後も横浜・DeNA時代を通じて、石井琢朗や佐伯貴弘、金城龍彦ら長年チームに貢献した生え抜き選手が、不本意な形でチームを去る例が後を絶たない。
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