映画・ドラマ制作者3人に聞いた「うまい演技とは何か」「うまい俳優の実名」
下手な俳優を鍛えても…
次はTBSで「代議士の妻たち」(1988年)や「迷走地図」(1992年)のブロデューサーや演出を務めた市川哲夫氏(72)の話を聞く。
「私は1970年代半ばからテレビマンとして多くの名優たちを見て来ました。監督や演出家は俳優から最高の演技を引き出そうとする存在であるのですが、下手な俳優をどう鍛えても演技力などというものは、せいぜい1、2割程度しかアップしません。その意味では、キャスティングの段階で演出などというものは8割方決まってしまいます」(市川哲夫氏)
中島監督もほぼ同じ考え。「満足のゆくキャスティングが出来たら演技指導などいらない」と言っている。市川氏が続ける。
「これは父子である伊丹万作、十三の両監督の演出論でもありますが、『うまい役者=スター』というわけではありません。私の考えでは、その役者が出演することで、作品全体の質が向上する俳優が『うまい人』です」(同)
次に具体的な俳優の名前を挙げてくれた。故人に絞り、解説も加えてくれた。
まず滝沢修さん。
「言わずと知れた、劇団『民芸」の大看板でした。映画では山本薩夫監督作品の『白い巨塔』(1966年)と『戦争と人間』(1970~73)での名演。とりわけ『戦争と人間』での伍代財閥の当主役は出色でした。ドラマはNHKの大河『赤穂浪士』(1964年)での吉良上野介役。敵役を演じても魅力的でした』(同)
次は中村伸郎さんだ。田宮二郎さんが主演した1978年版の「白い巨塔」(フジテレビ)では東教授に扮した。
「『文学座』出身の名優で小津映画の常連。『東京暮色』(1957年)には山田五十鈴のパートナー役で、同じく『秋刀魚の味』(1962年)では笠智衆の旧友役で出ています。いずれも助演なのですが、作品の基調を決める演技をしました。私の初演出ドラマ『突然の明日』(1980年)では、たっての願いで出演してもらいました」(同)
続けて市川氏は八千草薫さんの名前を挙げた
「『永遠のマドンナ女優』と言われましたが、うまい女優でもありました。ともに川端康成原作の映画『雪国』(1957年)と『美しさと哀しみと』(1965年)ではそれぞれ葉子役と音子役を名演しました。ドラマではTBS『岸辺のアルバム』(1977年)の演技が見事でした。もっと演技力も高く評価されて良い人です」(同)
次に挙げたのは田中好子さん。
「歌手出身者は、表現力があるためか、概ね演技が上手いものですが、この人の場合、歌手という前歴を忘れるほど、天性の女優でした。映画『黒い雨』(1989年)が特に印象深いのですが、同時期、私の制作したドラマ『いまさら、初恋』(同)にも出てもらいました。バブル真っ盛りのこの時代の専業主婦の満たされない日々を好演してくれて、『うまい女優だ』と実感しました。夭折が惜しまれます」(同)
市川氏が最後に挙げたのはショーケンこと萩原健一さん。
「『課長サンの厄年』(1993年)を私が制作し、ショーケンが主演して以来、彼とはかなり深い付き合いがありました。一旦、役に入ると『オン』と『オフ』の切り替えの出来ない俳優でした。その期間、『役』を生きてしまう男だった。役が憑依してしまう、いわば『全身役者』でした」(同)
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