沖縄の歴史を映すのは史跡でなく空の色? 戦跡、博物館では見えないもの(古市憲寿)

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 沖縄へ行くと、決まって空ばかり見てしまう。もちろん、東京に比べて高層建築が少なく、物理的に空が広いせいもある。だけどそれだけではない。沖縄で起こったことを思い返すには、空を見上げるのが一番だと思うからだ。

 15世紀に成立した琉球王国は、明治政府によって強制併合され、沖縄県に対する「日本」化政策が進められた。1945年の沖縄戦では20万人以上が犠牲になった。戦火は島中に及び、首里城を始めとした多くの文化財が失われた。さらに戦後の開発によって、数々の戦跡がコンクリートで塗り固められていった。沖縄には目に見える形で残された歴史が決して多いとはいえない。

 戦争に関するメモリアルや博物館は多い。だが歌手のCoccoさんが平和祈念公園を「野に咲く花を摘むことが許されないくらい完璧に整備された施設」と呼ぶように(『想い事。』)、あまりにも整然としている。

 その沖縄で、最も手つかずに残された歴史の風景は、気象だと思う。琉球処分が断行された日も、沖縄戦で若者が犠牲になった日も、アメリカに占領されていた日も、今とさほど変わりがない空が広がっていた。

 戦争の記録はモノクロ映像が多く、悲惨な出来事の背景には、陰鬱な空を想像してしまいがちである。しかし激戦の最中にも、澄んだ青空が広がり、眩しい太陽光線が海面で乱反射していたはずなのだ。

 開発が進んだ「きれいな沖縄」を歩いていても、過去に思いを馳せることは難しい。だからその分、広い空を見上げることにしている。

 ここから少しスピリチュアルな話をする。ただの偶然と思い込みなのだろうが、僕は沖縄にはあまり歓迎されていない気がする。沖縄には何度も訪れているが、宮古島で幽霊騒動に巻き込まれたり、那覇でとんでもないホテルに泊まってしまったり、ちょっとしたトラブルが多かった。

 11月に訪れた時も、那覇へ向かう飛行機の中で、iPhoneのカメラの調子が悪くなった。さらに座喜味城(ざきみグスク)跡を歩いている時に、ミニバッグの紐が千切れた。やはり沖縄との相性は悪いのかなと思いながら、「やちむんの里」へ向かう。やちむんとは陶芸や陶器の意味。ここ読谷村(よみたんそん)は、陶芸が盛んなことでも有名なのだ。村中に工房が点在するが、特にやちむんの里には陶芸窯元が集まっている。

 いくつかのギャラリーを回った後で、「森の茶家」という喫茶店に立ち寄った。ここで作った陶器でコーヒーなどを出してくれて、気に入ったら購入もできる。

 カウンターでは、どこか江川紹子さんに似た雰囲気のオーナーと、常連客らしい異様に元気な女性が、楽しそうに話をしていた。風通しのいい、心地いい店だと思っていたら、ひょんなことから二人の会話に加わることになった。

 すぐ立ち去るはずが、しばらく話し込んでしまう。開け放たれた扉の向こうには、穏やかな秋空が広がる。西日が眩しくなっていく。今回は少しだけ、沖縄に受け入れられた気がした。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。他の著書に『誰の味方でもありません』『平成くん、さようなら』『絶対に挫折しない日本史』など。

週刊新潮 2021年12月9日号掲載

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