愛国と忠誠のシンボルに? 習近平夫人の「政治嗜好」

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習近平外交を補完する役割

 先の第19期中央委員会第6回全体会議(六中全会)では、共産党史上で3回目の「歴史決議」が採択され、習近平国家主席の政権3期目がほぼ決定したと伝えられる。 

 六中全会最終日の11月11日には、しばらくメディアを賑わすことがなかった習国家主席夫人の彭麗媛氏が、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の機関誌『Courier』のインタビューに答え、こう語っている。

「貧困撲滅とジェンダー平等の実現は人類共通の理想であり、全世界女性の共通の願いだ。中国は弛まぬ努力を通じ、教育を強力な推進力にして絶対的貧困撲滅という目標を実現した」

 さらに、全世界の国々のあらゆる政府、国際組織、非政府組織に向けて、「女子教育を通じて人類共通の未来を担う推進力を涵養すべき」と結んだ。

 それにしても習近平政権の成果を、「中国は弛まぬ努力を通じ、教育を強力な推進力にして絶対的貧困撲滅という目標を実現した」と訴える姿は、たんなる“内助の功”を超えていると言うべきだ。

 2015年以来、中国政府はユネスコを軸に国際組織への影響力を強めており、彭夫人はユネスコの「女子と女性の教育促進特使」を務めている。2012年の習近平政権発足以来、彼女が示してきた外交的アピール力を考えるなら、彼女が中国のファーストレディーの域を超え、習近平外交を補完する役割を担っていると見ても強ち間違いはないだろう。

 確実視される習近平政権3期目に向け、彭麗媛夫人はどのように振る舞うのか。その手掛かりになりそうなのが京劇だ。

新作歴史劇《夫人城》が描く韓太夫人

『中國京劇』(中華人民共和国文化和旅游部主管/全国中文核心期刊)はこのところ、英雄的な働きをみせる母親像を描いた新作京劇を特集し、彼女らの愛国的振る舞いと共産党への忠誠心の気高さを強く打ち出している。

 8月号が特集するのは、1600年ほど昔の東晋時代の襄陽(現在の湖北省襄陽)を巡る攻防を背景にした、新作歴史劇《夫人城》である。

 前秦の苻丕軍の猛攻を前に、襄陽の城市(まち)は陥落の危機に陥る。男子はすべて前線に出陣し、残された家族は恐怖に慄くばかり。その時、襄陽の最高責任者の母親である韓太夫人は高齢の身をも顧みず、婦女子を率いて堅固な城壁を築いて住民を守る一方、軍装に身を固めて兵を率いて戦場に赴き、ついに敵を殲滅したのである。

 この演目を、同誌8月号はこう評価する。

「強きを恃み弱きを挫くことに反対する中華民族本来の姿を反映している。平和を維持し国土を防衛するために犠牲を厭わず、強暴な敵にたじろがず、覇権を恐れず、敢えて弱きを以て強きに勝利する。この物語は悠久の歴史的意義と大きな時代的価値を備えている」

 そして韓太夫人を「大忠、大愛、大智、大勇」の人であり、「覇権を恐れず、敢えて犠牲をものともせず、平和を維持する崇高な愛国主義精神を推し広げ、平和・発展・公平・正義・民主・自由の全人類共同の価値を体現している」と大絶賛する。

 なにやら鼻白むほどの誉め言葉ではあるが、「平和・発展・公平・正義・民主・自由の全人類共同の価値」は、新型コロナ禍以後の習近平政権が掲げる外交方針に重なりそうだ。

現代京劇《母親》が描く葛健豪

 同誌10月号が特集したのは、パリと上海を舞台に中国の革命運動に奮闘した葛健豪を描く現代京劇《母親》である。

 葛健豪は実在の女性で、1865年に湖南省に生まれている。生家は19世紀後半の清朝を支えた湖南省出身軍人・政治家の曽国藩の一族、さらには反清革命に殉じた女性革命家・秋瑾の家系と血縁だったと言うから、相当な名家と言える。

 であればこそ、彼女は纏足の人生を運命づけられたわけだ。だが、纏足に象徴される封建社会に身を以て抵抗し、教育によって旧い社会に抵抗し、新しい社会を切り開く道を突き進んだ。50歳を前に湖南女子教員養成所を卒業し、女子教育の道を歩み出すと、1917年に長沙に移住し、その家は毛沢東ら青年の集会所となった。

 翌年、息子の蔡和森は毛沢東らと新民学会を組織し、社会変革への道に踏み出す。その後、創生期の共産党に参加し、幹部を務めた。さらに娘の蔡暢も早い時期の数少ない女性共産党員で、1949年には中華全国婦女聯合会主席を務めている。

 付け加えるなら、蔡和森の妻の向警予も初期の女性党員で党中央委員会婦女部長(1922~27年)を務め、蔡暢の夫の李富春も共産党中央書記処書記・中央常務委員、中央政府で国務院副総理(1954~75年)などを歴任した。

 いわば4人の子どもが共に創生期から毛沢東時代の共産党を支えた筋金入りの共産党幹部であり、であればこそ彼女は共産党一家の頂点に立つ《母親》ということになる。

 五・四運動が起きた1919年、54歳の彼女は蔡和森、蔡暢、向警予らと共に勤工倹学運動に参加し、フランスへ向かった。この運動の中心人物が若き日の周恩来や鄧小平であり、運動参加者中最高齢の彼女は、フランスでも中国の若き革命家たちの《母親》だった。当時の中国社会の常識では、54歳は“立派な老女”だろう。何が彼女をそうさせたのか。

 1921年に帰国し湖南省で女子教育に努めた後、武漢、上海で子女の革命運動を支援するが、共産党への攻撃の高まりの中で湖南省に逼塞し、1943年に病死している。

 毛沢東は、彼にとっては“革命の《母親》”といった存在であろう彼女の死を知り、「老婦人、新婦道、児英烈、女英雄(老婦人による新たなる女性の道。児=息子は英烈で、女=娘は英雄)」という最大級の賛辞を贈り、その死を悼んだ。なお蔡和森はソ連から帰国直後の1931年6月、香港政庁に逮捕され広州に護送された後、処刑されている。

「いびつな美意識」へのメッセージ

《母親》は伝統京劇では当たり前の纏足の手法を現代劇で用いた点に興味があるが、やはり纏足の老女が若い中国人留学生と共にパリの街頭で「生存権」「求学権」の赤旗を掲げてデモを行う場面は見所の1つ。

 伝統京劇には見られない群像劇は革命現代京劇でも多用されているが、やはり泥臭さは否めない。その点、階段状になった舞台を多くの若者が旗を打ち振って颯爽と乱舞する演出技法は新鮮であり、芸能界の多様化の風は京劇の世界にも吹いていることを感ずる。

 同誌は武漢京劇院が創作した《母親》をこう解説する。

「中国婦女子の優秀な代表である葛健豪の強靱で挫けることのない個人的奮闘と千変万化する革命の歩みを底流とし、演劇性と現代化された舞台を生み出すことで、英雄的母親の葛健豪と革命の後継者である蔡和森、蔡暢、向警予ら共産党初期の創設者や指導者の知られざる家族生活、勤工倹学運動に参加した経緯、革命のための戦いのなどの歴史を描き出し、あの新旧交代局面に加え殺戮の血で塗られた紅色革命の時代に観客を誘う」

 なにやら激烈な形容詞が重なり分かり難い表現だが、要するに「英雄的母親の葛健豪と革命の後継者である蔡和森、蔡暢、向警予ら共産党初期の創設者や指導者」の奮闘の姿を見せつけることで、現在の芸能界に広がる「いびつな美意識」を一掃し、国民に「殺戮の血で塗られた紅色革命の時代」を思い起こせよ、新たなる革命の時代だ、とでも言うのだろうか。

 やや穿った見方をするなら、あるいは《母親》は文革前に盛んに進められた「憶苦思甜」運動の習近平政権版と言ってもよさそうだ。つまり苦しかった過去を思い出し、現在の豊かさを嚙み締めろ。「いびつな美意識」なんぞに惑わされるな、「中華民族の偉大な復興だ」「中国の夢だ」と、言いたいに違いない。

 それにしても不思議なのが、毛沢東にとっても“革命の《母親》”であったはずの葛健豪の波瀾万丈の人生を描いた《母親》の舞台に、毛沢東の姿形が感じられないことだ。あるいは習国家主席は自らに纏わりつく“毛沢東の軛”を取り外すことを狙っているとも考えられる。

《夫人城》と《母親》に重なる彭麗媛の振る舞い

 愛国と党への忠誠――新たに京劇の舞台に描かれた韓太夫人と葛健豪の姿に、最近の彭麗媛の振る舞いを重ねることは必ずしも牽強付会と言うわけでもないだろう。

 共産党政権以来の権力闘争史を振り返った時、江青(毛沢東夫人)、王光美(劉少奇夫人)、葉群(林彪夫人)の微妙な立ち位置を考えないわけにはいかない。3人の共産党指導者の権力闘争の裏舞台で、3人の夫人もまた互いに権力を求めて暗闘を繰り返していたのだ。

 彼女らは権力者の夫人であることをテコに「権力者の代弁者」として政治の世界に闖入し、権力闘争に積極的に関与し、結果として毛も劉も林も、“配偶者の政治嗜好”を阻止できなかった。

 大躍進失敗の責任を取り政治の第一線から退いた毛沢東に代わって中国の指導者に躍り出た劉少奇夫人の王光美は、いわば「国母」として振る舞うようになった。

 王光美への対抗心が江青の権力志向に火を点け、毛沢東を文革に向かわせ、遂には劉少奇失脚を招く。四人組の頂点に立った江青は文革派を率い「国母」として国民に対した。

 自らへの権力委譲を進めない毛沢東に苛立つ林彪の傍らで、夫人の葉群は息子の林立果と共に実力による権力奪取に動き出した。葉群の動きが、毛沢東暗殺を狙ったクーデター事件(「林彪事件」)に微妙な影を落としていることは確かだろう。

 はたして中国の政治文化では、権力者夫人という「私」の部分と正式の政治ポストという「公」の部分を峻別するシステムが、機能していないということだろう。政治的に「公」と「私」を厳密に分けるシステムが機能しないかぎり、やがて彭夫人は党中央常務委員ならぬ常務委員、副主席ならぬ副主席として振る舞う可能性は否定できそうにない。

 これまでにも言及した《紅土》《党的女児》に、新たに《夫人城》と《母親》を加えた女性を主人公にした新作現代京劇が近い将来の彼女の姿――愛国と党への忠誠のシンボル――を暗示しているように思う。

 であればこそ考えるのだが、アメリカと激しく覇権を争い、世界の秩序を変更しようと突き進む習近平政権は、果たして過去の3人の最高権力者夫人の末路に――それは3人の最高権力者の最期をも想起させるに違いない――に思いを及ばせることはないのだろうか。

樋泉克夫
愛知県立大学名誉教授。1947年生れ。香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士課程を経て、外務省専門調査員として在タイ日本大使館勤務(83―85年、88―92年)。98年から愛知県立大学教授を務め、2011年から2017年4月まで愛知大学教授。『「死体」が語る中国文化』(新潮選書)のほか、華僑・華人論、京劇史に関する著書・論文多数。

Foresight 2021年12月7日掲載

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