中村吉右衛門さん逝く あの愛すべき人柄はどこで形成されたのか
12月1日、歌舞伎俳優で人間国宝の2代目・中村吉右衛門さん(本名・波野辰次郎)が、先月28日に心不全のため都内の病院で死去していたことが明らかになった。享年77。歌舞伎界を代表する立役(男役)であったことは新聞各紙が報じているが、生前から演技はもちろん、その穏やかで優しい人柄への評価も非常に高かった。
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吉右衛門さんは歌舞伎界で長らく当代随一の名優と言われながら、決して奢ることはなかった。かといって、面白みのない堅物でもなかった。
初代・松本白鸚(高麗屋)の次男として生まれ、兄は2代目・白鸚(79)。名門の出とは思えないほど、誰にでも腰が低かった。歌舞伎評論家で早稲田大学教授の児玉竜一氏は言う。
「やはり、幼い頃に母方の祖父の元に養子に行ったのは、大きいと思います。実子よりも養子のほうが、継いだ家に対する責任感をより重く受け止めますし、大人の中でもまれてきましたから」
吉右衛門さんの母・正子さんは、初代・吉右衛門(播磨屋)の一人娘だった。そのため初代は、娘に婿を取ろうとして、嫁に出すことを望まなかった。高麗屋への嫁入りが決まった時、彼女は「男子を二人は産んで、そのうちの一人に吉右衛門の名を継がせます」と約束したという。
「有言実行で二人の男の子を産んだ正子さんもすごいのですが、吉右衛門さんは生まれる前から播磨屋を継ぐ宿命だったわけです。初代は戦後歌舞伎の頂点と言っていい人で、文化勲章も受けた名優ですから、その重圧は大きかったでしょう。ところが、その養父(祖父)を10歳で亡くしました。後ろ盾をなくして苦労したことと思います」
実母のスパルタ教育
一方で年長者に可愛がられたという。
「若い頃から6代目・中村歌右衛門や17代目・中村勘三郎、水谷八重子といった父世代の大幹部の相手役に呼ばれることが多かったので、そういうところでも鍛えられたのでしょう」
その上、実母・正子さんのスパルタ教育もあったという。
「兄の白鸚さんは彼女を“間違って女性に生まれてきた人”と言ったことがありましたが、2018年に吉右衛門さんが日経新聞で連載した『私の履歴書』でも、そのことに触れていました。相当厳しくやられたそうです」
《芝居の稽古となると、当時普通はお弟子さんが子役を教えるものでしたが、うちは違いました。実母のスパルタ教育が待っていたのです。(中略)お弟子さんなら遠慮もありましょうが、何しろ実母ですから、そんなものは微塵もありません。実父もまったく口出ししませんでした。/その厳しさは一切の妥協を許さないもので、泣こうがわめこうがお構いなし。できなければひっぱたかれ、蔵に入れられます。(中略)歌舞伎の家に生まれ、いつも初代のそばで芝居を見て話を聞いていた実母の強い思い入れが、歌舞伎役者としての私をつくっていったのです。》(「日本経済新聞」18年7月7日付)
子供の頃だけの話かと思えばさにあらず。
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