出光興産、創業者「出光佐三」が掲げた民族経営、「日章丸事件」と裁判所での歴史的大演説
創業家のキーマンは千恵子夫人
創業以来、綿々と続いてきた出光家の支配からの脱却が鮮明になった。それでも出光家は、日章興産や出光美術館などの名義で34%強の株式を保有する大株主であることに変わりはなかった。
出光は、同族オーナー型経営から所有と経営を分離した“開かれた会社”に移行した。創業家は「君臨すれども統治せず」の立場となる。これ以降、創業家と経営陣の軋轢を耳にすることはなかった。
しかし、昭和シェル石油との統合問題を機に、創業家の出光昭介が経営陣に刃(やいば)を突き付けた。背景には出光家の後継者問題があった。
外資系の昭和シェルとの統合は、民族資本と民族経営を貫き通す佐三の理念に反するという建て前論が、合併反対の主張のフロントページに飾られた。
「日章丸事件」のような歴史的な背景があるから、出光創業家はイランに対する思い入れが強かった。佐三の長男・昭介は、イランの首都テヘランを訪れた際、「誰もが出光と日章丸のことを覚えていてくれた」と感激の面持ちで語っている。
村上世彰が出光昭介を説得
創業家一族の影のキーマンは、昭介の妻の千恵子であった。日本航空(JAL)の客室乗務員だった千恵子を昭介が見初めて結婚したのは有名な話だ。
昭介と千恵子の間には3人の子供がいた。長男の正和、次男の正道、そして長女の佐千子だ。後継者として期待していた正和は出光を去り、資産管理会社・日章興産の社長となっていた。長女も別の道を歩み始めていた。
出光に残っているのは次男の正道のみ。千恵子は、高齢の昭介の目の黒いうちに、次男の正道を社長にすることに執念を燃やした。だからといて、出光家への“大政奉還”を経営側が呑めるわけがなかった。
2018年に入り事態が動いた。前年末から創業家のアドバイザーに旧村上ファンド代表で投資家の村上世彰(むらかみ・よしあき)が就き、彼が創業家を説得したことで流れが変わった。
出光と昭和シェルは18年7月10日、翌年4月1日に経営統合すると発表した。会見の席上、出光と出光創業家が交わした合意書が公開された。
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