出光興産、創業者「出光佐三」が掲げた民族経営、「日章丸事件」と裁判所での歴史的大演説

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石油資本に屈服した日本

 出光佐三は、木本正次『小説出光佐三~燃える男の肖像』(日刊工業新聞社)などで小説のモデルとなったが、出光の正史といえる出光興産編『ペルシャ湾上の日章丸――出光とイラン石油』は、小説顔負けの伝説的なエピソードで彩られている。

 これが佐三の人生のハイライトだ。出光の正史をベースに、イランへの単独行について書き進めることとする。

「民族資本、民族経営」を掲げた佐三は、内外の敵と戦った。

 外の敵は英米石油資本、メジャーである。戦後の日本の石油産業はメジャーの支配下にあった。メジャーと組まないと原油が手に入らなかった。原油を輸入するための外貨割り当てに縛りをかけ、メジャーと提携しない会社は原油を輸入できないようにした。

 内なる敵は日本の同業者と政府である。同業者は値段が高いのに品質の劣る石油製品を市場に大量に流した。政府に働きかけて出光を石油統制機構から締め出そうとさえした。GHQ(連合国軍総司令部)の圧力に屈した日本政府は、メジャーの息がかかった外資系精製会社を優遇し、自前の石油会社を育てようとしなかった。

石油資本との戦い

 占領下の日本の石油精製会社14社のうち、6割は完全にメジャーの“植民地”であり、3割は半分支配されていた。独立系は出光のみ。石油統制機構は、輸入原油と外貨の割り当てを行う組織だった。

 佐三は自社の独立を脅かす一切の妥協を拒んだ。そのためカルテルから締め出された。孤立無援、四面楚歌のなか自前の1万8000トンの巨大タンカー、日章丸を駆ってメジャーに断固、戦いを挑んだのである。

 最初は米西海岸のロサンゼルスの中堅石油会社から輸入を計画した。これが第一の矢である。この計画をメジャーに阻まれると、第二の矢を放つ。パナマ運河を越え、メキシコ湾岸やベネズエラから輸入するという離れ業を演じた。だが、ここにもメジャーの手が回った。佐三が考えた第三の矢。それがイランからの直輸入だった。

 中東の石油産出国でも、メジャーによる利権の独占が続いていた。これに反発したイランでは1951(昭和26)年3月、首相に就任したモハンマド・モサッデクが英メジャーのアングロ・イラニアン石油(AI、現BP=旧ブリティッシュ・ペトロリアム)を接収し、国営イラン石油公社とした。

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