出光興産、創業者「出光佐三」が掲げた民族経営、「日章丸事件」と裁判所での歴史的大演説

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「2050年に石油需要が8割減ってしまう前提でシナリオを描いた」。出光興産の社長・木藤俊一(65)は、2023年3月期までの中期経営計画についてこう話す。19年に中計を策定したが、急速に進む脱炭素の動きや新型コロナの感染拡大で見直しを迫られた。(敬称略)

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 いつまで化石燃料の販売に頼れるのか。世界のエネルギー企業が直面する高い壁に、出光興産もぶち当たっている。脱炭素の流れに乗るために、石油の次を早急に見出す必要がある。

 出光は今年2月、超小型電気自動車(EV)への参入を発表。5月から千葉県市原市でEVのカーシェアリングを始めた。22年には車両の販売を始める。高速道路は走れないが、運転の苦手な人でも気軽に乗れる、高齢者の足と位置づけるEVである。時流に乗った事業だが、大きな利益貢献は期待していない。

 出光は既存の資産を生かす道を模索する。全国約6300カ所ある給油所を「スマートよろずや」と銘打ち、デジタル技術を使った「何でも屋」として残す考えだ。ドローンの配送拠点としても活用する。製油所は脱炭素を推進するためのエネルギー基地となる。

 石油の次は何か。出光の経営陣は、脱炭素へ向けての突破力が問われている。

 幾多の苦難を乗り越えてきた国内最大の民族系石油会社、出光興産を築いたのは出光佐三である。その「反骨精神」は、英国艦隊による海上封鎖をかいくぐってイラン原油の輸入を敢行するという「日章丸事件」として、歴史に深く刻まれている。

イランへ単独行

「航路変更、アバタンに向かわれたし」

 1953(昭和28)年4月5日、インド洋のコロンボ沖を航行中の出光興産のタンカー日章丸に、本社から暗号電報が届いた。船長は乗組員を集め、出航前に社長の出光佐三から手渡された檄文を読み上げた。「イラン石油輸入第一次日章丸乗組員に与う」と題されていた。

《「終戦後の出光は日本の石油国策の確立を目標として猛進した。/我社の主張は石油消費者大衆の利益を計るを主眼として消費の増進と石油業界の発展を招來(しょうらい)すると言う極めて率直簡単なる言い分であった。(中略)今や日章丸は最も意義ある尊き第三の矢として弦を放たれたのである。行く手には防壁防塞の難關(なんかん)があり之(これ)を阻むであろう。乍併(しかしながら)弓は桑の弓であり矢は石をも徹(とお)すものである。ここに我国は初めて世界石油大資源と直結したる確固不動の石油国策確立の基礎を射止めるのである。此の第三矢は敵の心膽(しんたん)を寒からしめ諸君の労苦を慰(い)するに充分である事を信ずるものである」》

 船長が大声で読み上げると、それまで本当の目的地を知らされていなかった乗組員は奮い立った。

「日章丸万歳! 出光興産万歳! 日本万歳!」

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