「正確な情報」が「無謀な開戦」につながったという痛恨の逆説――日米開戦80年目の真実
近年、ファクトやエビデンスの重要性が盛んに指摘されています。その裏には、「正しい情報」に基づいて考えれば「正しい判断」を行うことができる、という予断が見え隠れしているように思えます。
しかし、「正しい情報」が必ずしも「正しい判断」に結びつくとは限りません。経済学者の牧野邦昭氏が著した『経済学者たちの日米開戦 秋丸機関「幻の報告書」の謎を解く』では、「正確な情報」こそが、かえって政策決定者たちを「無謀な開戦」へと駆り立ててしまったという逆説を、鮮やかに読み解いています。
覆された通説
「非合理的」「情報軽視」といったイメージのある日本陸軍ですが、実際には開戦前に多くの一流の経済学者を「秋丸機関」に動員して、日本のほかアメリカ、イギリス、ドイツなどの主要国の経済抗戦力を詳細に調査していました。
しかし、そこまでして陸軍が正確な情報を得ていたにもかかわらず、日本は80年前の12月に米英に宣戦を布告し、太平洋戦争に突入してしまいます。それはなぜだったのでしょうか。
これまでの通説は、秋丸機関が米英と日本の経済抗戦力の巨大な格差を指摘する報告書を提出したにもかかわらず、陸軍首脳がそれを「国策に反する」ものとして焼却処分してしまい、開戦に踏み切ってしまったというものでした。
しかし、牧野氏は、焼却処分されたはずの報告書を発見し、通説が事実と異なることを前掲書で明らかにしました。しかも、報告書に書かれていた情報は、とくに極秘とされていたわけではなく、秋丸機関の関係者たちが雑誌などで自由に発表していたことも分かりました。つまり、通説は誤りだったということです。
なぜリスクの高い方を選択してしまうのか
では、日本の指導者たちは、正確な情報に接する機会があったのに、なぜ米英と戦争するという非合理でリスクの高い選択を行ってしまったのでしょうか。牧野氏は前掲書で、行動経済学を使って説明を試みています。
経済学では「人間は合理的に意思決定する」と考えられていますが、実際には人間は非合理的に見える行動を取ることがよくあります。例えば、以下の2つの選択肢のうちどちらが望ましいかという問題を考えてみましょう。
A 確実に3000円払わなければならない。
B 8割の確率で4000円支払わなければならないが、2割の確率で1円も支払わなくてもよい。
Bの損失の期待値は3200円(=4000円×0.8+0円×0.2)で、Aよりも損失は大きくなります。したがって人間が「合理的」であれば、より損失の小さいAを必ず選ぶはずですが、実験をしてみると実際には確実に損失が生じるAよりも、高い確率でより多くの損失になるが低い確率で損失を免れることもあるBを選ぶ人が多いことがわかっています(ある実験では92%がBを選択しています)。つまり、人間は損失を被る場合にはリスク愛好的(追求的)な行動を取るということです。
行動経済学による説明
なぜこのような選択肢が選ばれるのかを説明するのが、近年急速に発展している行動経済学におけるプロスペクト理論です(D.カーネマンはこの業績などにより2002年にノーベル経済学賞を受賞しています)。
プロスペクト理論では通常の経済学が財の所有量に応じて効用が高まると仮定するのに対し、ある水準(参照点)からの財の変化の量に注目します。簡潔にいうと、人間は現在所有している財が1単位増加する場合と1単位減少する場合とでは、減少する場合の方の価値を高く評価するのです。
そのため、人間は損失が発生する場合には少しでもその損失を小さくすること望みます(損失回避性)。そうすると、選択肢Aでは確実に3000円を支払わなければなりませんが、選択肢Bでは2割の確率で損失は0になるので、人間は低い確率であっても損失が0になる可能性のあるBの方につい魅力を感じてしまいがちなのです。
さらにプロスペクト理論では客観的な確率がそのまま人間の主観的な確率となるわけではなく、心の中で何らかの重みづけをされると考えます(客観的には2割の確率でも主観的には3割と考えられるかもしれない)。
客観的な確率と主観的な確率の乖離は実証されており、自然災害などの客観的には滅多に起きない現象は主観的には高い確率として認識される一方、生活習慣病による将来の死といった客観的には高い確率で起きる現象は主観的には低い確率として認識されています(だからこそ「当選確率は極めて低いのに多くの人が宝くじを購入する」「将来ガンになる確率が高いのに多くの人が喫煙する」といった現象が起きるのです)。
それゆえ、先ほどの選択肢Bで「1円も支払わなくてもよい」という確率が主観的に過大に評価され(例えば3割)、AよりもBの方が望ましいと考えられて選択されることになるのです。
「ジリ貧」よりも「開戦」という判断
さて、昭和16年8月以降の当時の日本が置かれていた状況は、先ほどの選択肢AおよびBとほとんど同じようなものでした。日本の選ぶべき道は、政策決定者の主観的には2つありました。
A’ 昭和16年8月以降はアメリカの資金凍結・石油禁輸措置により日本の国力は弱っており、開戦しない場合、2~3年後には確実に「ジリ貧」になり、戦わずして屈伏する。
B’ 国力の強大なアメリカを敵に回して戦うことは非常に高い確率で日本の致命的な敗北を招く(ドカ貧)。しかし非常に低い確率ではあるが、もし独ソ戦が短期間で(少なくとも1942年中に)ドイツの勝利に終わり、東方の脅威から解放されソ連の資源と労働力を利用して経済力を強化したドイツが英米間の海上輸送を寸断するか対英上陸作戦を実行し、さらに日本が東南アジアを占領して資源を獲得して国力を強化し、イギリスが屈伏すれば、アメリカの戦争準備は間に合わず抗戦意欲を失って講和に応じるかもしれない。日本も消耗するが講和の結果南方の資源を獲得できれば少なくとも開戦前の国力は維持できる。
つまり、日米間の国力の巨大な格差を正確に指摘した秋丸機関の報告書を踏まえれば、開戦が無謀であることはわかるのですが、プロスペクト理論に基づけば、それぞれの選択肢が明らかになればなるほど「現状維持よりも開戦した方がまだわずかながら可能性がある」というリスク愛好的な選択へと導かれてしまうのです。
「正しい情報」が「正しい決定」につながるのであれば「開戦回避」という結論になるはずですが、実際は上記の通り、むしろ「正しい情報」ゆえに「開戦」という結論が下されたと考えられるのです。もちろんこれは単純化した説明であり、牧野氏の著書では、他の様々な要素(日本の指導者の長期的なビジョンの欠如、集団心理による強硬論の支持など)も、開戦の意思決定に重要な影響を与えていたことが示されています。
現代でも「正確な情報があったはずなのに、なぜこのような残念な結果になってしまったのか」と疑問に思うことがしばしば起きています。そうした失敗を繰り返さないためにも、80年前の日米開戦の教訓から学ぶ価値がありそうです。