石原伸晃氏、内閣参与起用の波紋 岸田首相とやっている「ドライマティーニの会」って何?

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平成の光秀

「無派閥となった伸晃さんは、01年に発足した小泉内閣で、首相から『サンドバッグになれ』と規制改革担当大臣として初入閣を果たし、さらに国土交通大臣にも就任しましたが、道路公団民営化問題で文字通り叩かれまくるサンドバッグ状態となりました」

 07年、石原氏は、今度は山崎派(近未来政治研究会)に入った。

「山崎拓さんが慎太郎さんに頼まれて迎え入れたそうです。山崎さんは初当選した72年の衆院選で、応援演説のため選挙区の福岡まで駆けつけてくれた慎太郎さんに感謝しているんだそうです。その恩に報いるため、山崎派に彼を入れ、跡も継がせて石原派ができたわけです」

 派閥の長になれたのも親の七光りだった。

「だから、派閥の求心力もない。その上、11年の東日本大震災後、福島第一原発を“サティアン”呼ばわりして自ら評判を落としました。12年の自民党総裁選では、自身は幹事長でありながら、総裁の谷垣禎一さんを差し置いて出馬を決めたため、“平成の明智光秀”と言われました。今年1月にはコロナに感染していることが判明。都内では自宅待機の患者が数千人もいたにもかかわらず即日入院したことで、“特別待遇”や“上級国民”との声も上がりました」

 この10年間は目立った活動はナシ。

「そんな状態で迎えた10月の衆院選でした。彼に向けて発せられた“何もやってないじゃないか!”の民意が、落選という結果をもたらしたといっていいでしょう。それが、ここへ来ての“復活当選”なのですから、岸田首相が批判されるのもよくわかります。一説には、主を失った旧石原派の議員を岸田派に取り込むためともいわれますが、参与ともなれば、日当はそれほどではないものの官邸内には部屋も用意されます。ひとまず“無職”でなくなり、内閣官房参与の肩書きで政治活動もできるでしょう。次期選挙に向けて、首相が手を差し伸べたということでしょう」

 今頃、伸晃氏は飲み友達に感謝しているに違いない。

デイリー新潮編集部

2021年12月5日掲載

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