石原伸晃氏、内閣参与起用の波紋 岸田首相とやっている「ドライマティーニの会」って何?
12月3日、岸田文雄首相は自民党の石原伸晃元幹事長(64)を観光政策担当の内閣官房参与に任命した。石原氏といえば、10月の衆議院選挙で、東京8区で落選し比例復活も叶わなかった人だ。そういう方が首相のブレーンたり得るのか。ネット上では《復活当選》だの《有権者が支持してないのだからダメだ!》だのと散々な言われようで、岸田首相も厳しく非難されている。
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まずはSNS上での声を見てみよう。
《選挙に落選した伸晃ちゃんが何で国政に関わるのかな?選挙落ちたらただの人。岸田さんの補佐に付けるって何かおかしくない?》
《伸晃も伸晃だよ。「私は小選挙区でも、比例代表でも『選ばれなかった』ので、辞退させていただきます。」と、なぜ言えないのか。礼節も謙虚さもないこの人を、信用できるわけがない。》
《石原プロがなかったらとっくにいなくなってたかもしれない、先の選挙で落選した伸晃をポストを作って採用する岸田の人事のセンスの無さ。そしてそれを水面下で断って騒ぎにならないようにする配慮くらいできるのが派閥の領袖ってもんだけど、それができない伸晃というのも重ねてセンスないわ。》
《伸晃は生活保護の事をテレビで叩いてたくせに、自分は落選して議員でメシが食えなくなったら政府に寄生するのかよ 生活保護なんかよりよっぽどタチが悪い》
ボンボン記者
ごもっとも、と言いたくなった人も少なくないかもしれない。とはいえ、当選10回、自民党最小派閥ながら石原派(近未来政治研究会)の領袖でもあったのだ。盟友といわれる岸田首相には、何か期するものがあったのではないか。政治部記者は言う。
「伸晃さんといえば、父は作家で衆議院議員や東京都知事も務めた石原慎太郎さんで、慎太郎さんの弟は言わずとしれた名優・石原裕次郎、親の七光りに叔父の七光り、合わせて“十四光り”ともいわれたボンボンです。慶応大学卒業後、81年に日本テレビに入社し、報道局で記者をしていました」
マスコミ出身だったわけだ。
「記者時代、記事を1本も書いたことがないというのは有名な話です。運輸省(現・国土交通省)を担当していた時に、85年の日航機墜落事故が起こりました。彼は休暇中で、連絡先も知らせずにイタリア旅行に行っていた。本来なら、事故を知ったら迷わず帰国するところです。日テレの上司がようやく連絡を付けたものの、『後はよろしくお願いします』と伝えて旅行を続けたそうです」
初当選は90年2月、意外なことに無所属だった。当時の新聞記事が興味深い。
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