任天堂・中興の祖「山内溥」 かつて「会社に必要なのはソフト体質の人間」と語った意味

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山内溥の経営観

《ただ、社員にはハード体質の奴もたくさんいる。だからといって、辞めさせるわけにはいかんでしょう。ファミコンの時は、たまたまソフト体質の人間に恵まれたけれども、次の段階では新しい開発者が出てきた。それが不幸にして、ソフト体質ではなかった。だから『NINTENDO64』のようなものが作られたわけ》

《あの時、僕は不満やった。64が出た時に『ダメだな、任天堂は』と思ったよ。でも、僕に運があったのは、その代わりに『ゲームボーイ』が誕生して『ポケモン』も出てきたこと。任天堂にはやっぱりソフト体質の人々がいて、それで何とか折り合いがついた。これは何かと言ったら、もう運が良かったというしか言いようがない」》

 溥の経営観、経営者観がストレートに出ている、唯一といっていい発言である。

「NINTENDO 64」の切り捨て

 任天堂は人を驚かせるハード&ソフトを次々と作ってきた。日本初のプラスチック製トランプ、弾の代わりに光が出る光線銃SP、携帯型ゲーム&ウォッチ、ファミコン(ファミリーコンピューター)etc。

 スーパーファミコンの後継機種として、1996年6月に発売したのが家庭用ゲーム機「NINTENDO 64」である。

 当初は次世代ゲーム機の本命として期待され、「ゲームが変わる。64が変える」のキャッチコピーとともに華々しく登場した。

 だが、64は失敗した。ゲームのコンテンツ(内容)よりも性能の追求に走った結果、消費者からそっぽを向かれた。

 この反省から溥は「マニアにしか支持されないような商品作り」を完全に否定した。

 いたずらに性能競争することは敷居を高くするだけだ。例えば、ゲームをやりたい女性のユーザーは開拓できず、ゲームビジネスの危機を招くと考えた。

「任天堂に必要なのはソフト体質をもっている人」という発言の意味が良くわかる。「64」はハード体質の人が作ったから失敗したと考え、スパッと切って捨てたのである。

 山内溥の名前について書いておこうと思う。

 昔、有価証券報告書など公式文書に書かれている名前は「山内博」なのである。「電話帳に博があまり多いので、50歳の時に溥に変えた」というのだ。

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