任天堂・中興の祖「山内溥」 かつて「会社に必要なのはソフト体質の人間」と語った意味
後継者解任のナゾ
山内溥は早くから引退を宣言していたが、引退は先送りされてきた。後継者に恵まれなかったからだ。
後継者と目されていたのが娘婿の荒川實だった。京大から米マサチューセッツ工科大を経て丸紅に入社した商社マン。任天堂の米国進出に当たり、初期のファミコンの時代から関わり、家庭用ゲーム機を米国に普及させた功労者だ。イチローが活躍するシアトル・マリナーズを任天堂が買収したとき、中心になって動いたのも荒川だった。
ところが溥は「彼は任天堂の社長には向かない」とのたった一言で、荒川を解任してしまう。米国での荒川の実績は申し分なかったが、商社マンとしての生き様が山内溥のスタイルに合わなかったのかもしれない。
もう少し山内の心の内に立ち入ってみよう。倒産の危機を経験して借金することの惨めさを体の隅々にまで叩き込んできた溥は、多額の資金を使って市場を開拓する荒川とは根本的に経営のスタイルが違ったということなのだろう。オーナー経営者は、考え方の違う部下には寛容ではない。
荒川實の解任は未だに、「任天堂、最大のナゾ」とされる事件である。
「ハードの人」と「ソフトの人」
山内溥は一匹狼である。
メディアのインタビューにもほとんど応じたことがない。日本経済新聞の『私の履歴書』を1カ月間、連載することが、経営者にとって一流の証とされるが、何度となく掲載のオファーを断ってきた。
その溥が、任天堂の経営の本質を語った珍しい語録が残されている。
「特集 任天堂はなぜ強い」(『日経ビジネス』2007年12月17日号)で次のように語っている。
《「(生活)必需品を作っているハードの会社と(娯楽分野の)ソフトの会社というのは、体質が全然違うんですね。言い換えると、ハードで成功した経営者がソフトをやれるのかというと、とてもそうはいかないというのが僕の考えです》
《だから、いったい何を基準にして任天堂に必要な人を選ぶのかといえば、果たしてその人が『ソフト体質』を持っているか否か。実際に接してみると、この人はハードの人、この人は体質的にソフトに順応できる人というのが分かってくるんですね。(中略)ハード体質の経営者がもしいたとしたら、辞めてくれと言います。そうしないと任天堂という企業はつぶれるんですよ》
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