任天堂・中興の祖「山内溥」 かつて「会社に必要なのはソフト体質の人間」と語った意味

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「倒産寸前」は合計3回

 溥は「運を天に任せたりせず、人事を尽して天命を待つ」人だった

 絵に描いたようなサクセスストーリーである世界企業への道を訊かれると、溥は「ファミコンを出す時もいろいろ迷ったわけではなく、それしかなかったから。米国進出だって成算があったわけではない。要するに、任天堂は運がよかっただけです」といった調子で淡々と答えていた。

 謙遜しているのかと思えば、決してそうではない。

「運を実力だと錯覚するような経営者は愚かだ」という過激な言葉が飛び出すところからみると、運・オールマイティ論者でもない。

「俺の経営がうまかったから成功した」と思うような経営者は、早晩、墓穴を掘ることになる。この警句は、溥が自分自身に向けたものなのだ。

 一時的な成功に浮かれないのは、盛者必衰の歴史に彩られた京都に育ったからだろう。溥自身は、いつ潰れても不思議ではないと言われた苦しい時期をくぐり抜けてきている。3度も倒産寸前までいった。ファミコンがヒットするまでは「このままパッとしないままで終わるのではないかと思った」と語っている。自称「良くも悪くもゲーム屋」の山内の辞書にある運という言葉には、彼にしか実感できない重さがあるようだ。

山内溥の最期

 任天堂の社名は「運を天に任せる」に由来する。

 付言するなら、溥は「運を天に任せたりせず、人事を尽して天命を待つ」人だった。山内溥は孤高を貫いた。功なりなり名を遂げた経営者は、地元の商工会議所の会頭や経済団体の会長など対外的な活動に力を入れて勲章を狙う。だが、溥は「会社を経営するのは雇用を吸収した上で納税するのが目的。経済団体に参加する必要はない」と、京都財界には一切顔を出さなかった。

 2013年9月19日死去。享年85歳だった。

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