彭帥問題で中国当局の肩を持つIOC「バッハ会長」 歴史を動かす危険な一歩か

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「平和の祭典」のウソ

 歴史に語られる1936年ベルリン五輪に思いを馳せる。ジェシー・オーエンス、村社講平ら幾多の名選手が躍動し、伝説が生まれた。記録映画や聖火リレーなど、いまに続くオリンピックの伝統が生まれた大会でもあった。しかし、ナチス・ドイツのプロパガンダに利用された事実は拭えない。

 なぜ、ナチス・ドイツのユダヤ人迫害をわかっていながら、国際社会はベルリン五輪の開催を容認したのか? なぜアメリカなど各国は参加したのか? 改めてその疑問をたどると、興味深い事実が浮かび上がる。

 オリンピックのベルリン開催が決まった後にアドルフ・ヒトラーは首相になった。そのヒトラーが、アーリア人以外はスポーツ施設や団体から排除する政策を取ったことから、世界各国でボイコット運動が起こった。当時アメリカのオリンピック委員会の委員長で後にIOC会長として君臨するアベリー・ブランデージも当初はドイツでの開催を取りやめるよう提唱していた。1934年にドイツに査察に行った後、「ユダヤ人選手は公正に扱われているため、大会は予定どおり開催されるべきだ」と態度を変えた。そして、「スポーツに政治を持ち込むべきでない」とボイコットに反対し、アメリカ選手団の参加を強く主導したと語られている。あの時も、ドイツ当局とIOC首脳が結びつき、政治の片棒を担いだといってもいい事実があったのだ。

 IOCはオリンピックを「平和の祭典」と呼び、世界の平和と平等を発信しているようだが、その実、平和や平等の実現とは対極的な勢力と結んできた歴史が厳然とある。しかも、IOCはオリンピック当初の女性選手の参加を厳しく認めなかった。

 私たちはいま改めて、IOCの歴史的実態と、彼らがオリンピック誕生の初めから決して人道的でなく、むしろ権威的で差別的だった事実を直視し、新たな方向性を模索すべきではないだろうか。

 私もオリンピックに理想を抱き、感傷と憧憬を持つ者として、オリンピックを悪く言うことにためらいを感じる。未来永劫、オリンピックが続いてほしいという淡い期待を捨てることができない。しかし、IOCは選手やファンのそのような思いを人質に取るかのように、あるいはそういう幻想や愛情に付け込むように、華やかで感動的な舞台の裏で、本当はあってはならない差別的、権威的な世界状況を作り出している。そうであれば、私たちは感傷を捨て、目を覚ますべきだろう。

 考えてみれば、IOCはオリンピックの旗を持つ、スポーツ界では唯一の組織だ。中国共産党がそうであるように、IOCもまた「一党独裁体制の組織」だ。しかもバッハ会長就任以降、「オリンピックが世界のスポーツ界全体の傘になる路線」を着々と進めている。かつては「4年に一度のスポーツの祭典」だったが、いまは違う。日常的にオリンピックがあらゆるスポーツに影響力を持ち、ジュニアに至るまでオリンピック・ムーブメントを張り巡らそうとしている。とくにマイナーと呼ばれる競技は、IOCからの分配金なしには運営が難しい。言い換えれば、オリンピックとIOCに依存し、支配されている。その状況を考えれば、IOCと中国が蜜月になるのは、単に中国マネーを必要とするだけでなく、もっと深いところで共感し合っている可能性さえ想像できる。

 今回のバッハ会長の行動は、実は歴史を動かす大変な一歩だったのではないか。内心、そうした動きの萌芽を強く期待している。オリンピックが形骸化し、もはや救えない裏面を持つものなら終了し、オリンピックの理想を受け継ぐ新たな祭典を創ればいい。もしくはオリンピックの主催権をIOCに返上してもらい、新たな組織でオリンピックを継承してもいい。オリンピックからIOCを追放することになんら躊躇は感じない。今回のバッハ会長の行動で、変革へのカウントダウンが始まったのではないだろうか。

小林信也(こばやし・のぶや)
1956年新潟県長岡市生まれ。高校まで野球部で投手。慶應大学法学部卒。「ナンバー」編集部等を経て独立。『長島茂雄 夢をかなえたホームラン』『高校野球が危ない!』など著書多数。

デイリー新潮編集部

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