大物占術家が明かす細木数子の“裏の顔” 資料を丸パクりされ絶縁
“魔女”も病には勝てなかった。11月8日、83歳で亡くなった細木数子。テレビが追悼報道で振り返ったのは、歯に衣着せぬ「ご意見番」、「視聴率女王」としての顔だったが、無論それは彼女のごく限られた一面に過ぎない。世の「裏街道」も歩いた、清濁入り交じる“怪人”でもあった。
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2年ほど前から表舞台に出ず、事実上の「引退生活」を送っていた細木。とはいえ、病に臥せっていたわけではなく、死も呼吸不全で唐突に訪れたものだという。
14日に都内で行われた「お別れ会」には、多数の著名人の献花が並び、故人の交友関係の広さを示した。
献花をした一人である、デヴィ夫人が言う。
「実に振幅の大きい人生を送った人でした。毀誉褒貶はありますが、占いブームの火付け役となり一時代を築いたのは間違いなく、ある種の“女傑”だったのではないでしょうか」
1938年、政治活動家の愛人の娘として生を享けた細木は、若い頃から水商売の道へと進み、銀座や赤坂でクラブをオープンしてママとなる。一度は結婚するが、ほどなく離縁。その後、小金井一家の堀尾昌志総長の愛人となったのは知られた話だ。その縁で、借金地獄に陥った歌手の島倉千代子を匿い、債務整理をして名を馳せるが、あくまで「裏」の住人だった細木が「表」の世界へと現れたのは、82年、『六星占術による運命の読み方』を刊行、占いの世界に進出してからである。
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