矢野燿大は移籍先の阪神で正捕手に…トレードで大ブレイクした“幸運な3選手”
「何としてもレギュラー捕手に」
プロ野球のシーズンオフで、ファンが気になる話題といえば、やはりトレードだろう。日本球界では、トレードに「放出される」という負のイメージもあるが、新天地でチャンスを掴み、出場機会が一気に増えた選手も多い。今回は、トレードによって、野球人生が大きく開けた男たちを紹介する。
【写真】リーグ優勝を逃し、CSも敗退した責任を問われる阪神・矢野監督だが、ヤクルトや巨人より“未来”は明るいと言われる理由は?
現阪神の矢野燿大監督も、トレードで劇的に運命が変わった一人だ。中日時代は正捕手・中村武志の控え。中村と矢野は2学年違いで、もし矢野が中日に残っていたら、第2の捕手のまま終わっていた可能性が強かった。
だが、チームが1997年のナゴヤドーム初年度に最下位に沈んだことが、矢野の運命を変える。広くなった本拠地に対応すべく、機動力と守備重視の野球への転換を図った星野仙一監督は、主砲の大豊泰昭を放出し、阪神から俊足堅守の久慈照嘉、関川浩一を獲得。これに対して、阪神も正捕手候補の一人として矢野を指名し、2対2のトレードが成立したのだ。
当時の阪神は、山田勝彦と定詰雅彦らが併用され、絶対的な正捕手が不在。青天の霹靂ともいうべきトレード通告にショックを受けた矢野だったが、目の前にぶら下がった大きなチャンスに、「阪神では何としてもレギュラー捕手になってやる」と決意した。
18年ぶりの優勝に貢献
移籍1年目に巧みなリードと勝負強い打撃でライバルたちから1歩抜け出した矢野は、野村克也監督時代の99年に初めて規定打席に到達。02年は、前年に中日を退団した星野監督が阪神の新監督に就任し、「またトレードに出されるのでは」と不安を抱いたという。
しかし、“星野野球”を熟知し、阪神のチーム事情にも詳しい矢野は逆に重宝され、03年に正捕手として18年ぶりの優勝に貢献する。「トレードされて本当に良かった! タイガースに来て本当に良かった!」と野球人生最大の幸福を嚙みしめた。
第2の捕手が移籍先で正捕手の座を掴み、現役引退後には監督就任という大出世。すべてはトレードから始まっていた。
[1/3ページ]