ビッグボス・新庄監督の意外な真実、メジャー時代の壮絶なイジメ、白人至上主義的な迫害

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常に明るく、テンションも高いのはなぜ?

 日本ハムの新庄剛志監督は10日まで3日間にわたり、沖縄・国頭での秋季キャンプを視察し若手を中心に助言を送るなど精力的に動いた。伸び悩む来季5年目・清宮幸太郎内野手に「デブじゃね?」と痛烈な一言もかませながら減量の必要性を説くシーンも見られ、就任早々からプロ野球界の話題を独占。視察を終えてからも自身の公式インスタグラムでメッセージを頻繁に発信し続けており、新庄ビッグボスの新たな情報やニュースはほぼ毎日のように各メディアで大きく取り上げられている。

 とにかく常に明るく、テンションも高い。そんなイメージが今や完全に定着した感のある新庄氏だが、現役時代に実は人知れず人間関係で苦悩していた時代もあった。阪神タイガースからFA宣言し、2001年シーズンはニューヨーク・メッツでプレー。日本人野手としてMLBで初めて4番打者を務めるなど大きなインパクトを残すと翌2002年シーズン、トレードでサンフランシスコ・ジャイアンツ(以下、SFジャイアンツ)へ移籍することになり、西海岸の地へ渡った。

「ニューヨークの次に好きな街がサンフランシスコ」

 SFジャイアンツへのトレードが決まった直後、新庄氏はこのような言葉を口にして新天地でのプレーに胸を高鳴らせていた。メッツは日本の千葉ロッテ・マリーンズで監督を務めたこともあるボビー・バレンタイン監督が指揮を執り、選手たちのノリもよく、どちらかと言えば放任主義のチームカラーだったことから「SFジャイアンツも似た雰囲気なのだろう」と思い込んでいたようだ。

キングとして君臨したバリー・ボンズ

 ところが、実態は想像を大いに裏切るものだった。

 この頃のSFジャイアンツは、2001年シーズンにMLB史上シーズン最多記録の73本塁打を叩き出したバリー・ボンズ外野手が「キング」として幅を利かせていた時代だった。

 チームのクラブハウス内にはボンズ専用のソファとテレビがデンと置かれるなど完全なる王様扱い。一方、この「キング」の振る舞いに対して激しい嫌悪感を抱いていたのが、チームメートのジェフ・ケント内野手だった。

 ジェフ・ケントは、バリー・ボンズとともに打線の主軸を張りながら、ボンズとは犬猿の仲。それもあってチーム全体にギスギスした異様なムードが常に漂い、クラブハウスは勝っても負けても変わらず重苦しい空気になっていた。新庄は、当時のMLBで「クラブハウスの雰囲気はMLB球団の中でもワースト」とまで言われたこの西海岸の伝統球団に、事情をよく知らないまま移籍して来たのだ。

 実は、ケントがボンズに嫌悪感を抱いていたのは、ボンズの王様然とした振る舞いだけが原因ではなかった。

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