藤井聡太が早くも4冠  熱戦を終わらせてしまった豊島前竜王の「敗着」

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大長考の末の敗着

 観戦記者も棋士も将棋連盟関係者も「失着」などとは滅多に言わない。遠慮もあるのだろう。しかし今回、豊島が優勢に進めていたと思われる終盤、たった一つのミスで決着したようだ。ある関係者によると棋士たちがモニターで見守る部屋では、109手目(3五桂馬)が指された時、「ええっ」「あれっ」などの声でどよめいた後、沈黙が支配したという。名局だったのに終わってしまったという雰囲気だったようだ。

 考えすぎが却って悪かったというほど単純ではなかろうが、少なくとも99分の大長考の数手後の手で一挙に形勢が逆転した。もっとも豊島自身が優勢と思っていたのかはわからない。終局後に主催社記者に「(自分が)よかったんですか?」と問うていた。カド番に追い詰められた豊島は対局前、「一つ勝てれば流れが変わることも」と話していたが終わると「自信のある手順が見つからなかった」と寂しそうだった。悔しかっただろう。少し前には三冠だった豊島は無冠になった。

敗者へのエール

 幼い頃の藤井四冠を育てた「ふみもと子供将棋教室」(愛知県瀬戸市)の文本力雄さん(66)に尋ねた。「難しい将棋で、聡太が勝ち切りましたが今回は、豊島さんがちょっと失敗したようです。子供の頃から聡太は、自玉への攻撃が一手でも空くとバンバン攻めていった。子供でもある程度強くなると怖くなって守るのですが、そこが違いました。それは今も変わらないですね」と語った。しかし「タイトル戦ばかり注目されますがまだ負け越している棋士がいます。聡太は最近も斎藤慎太郎さん(八段)や深浦康市さん(九段)にも負けている。全棋士にきちっと勝ち越すことが大事です」と愛の鞭。さらに「食べ物の感想など、スポンサーや地元に気を遣うことも多いようですが、断るべきところはきちっと断って将棋だけに専念してほしい」と心配した。

デイリー新潮で筆者は、今年夏に名古屋で行われた叡王戦で、終局後に昼食の感想を聞かれた藤井が長く沈黙したことに言及した。美味だったか、まずかったかを考えていたのではなく、将棋に専念していて何を食べたかなど忘れてしまったのだろう。適当に「おいしかった」と答えておけばいいのに真面目で誠実な藤井にはそれができない。食べたものの名を必死に思い出していて答えに時間がかかったと思われる。文本さん同様、今後、藤井四冠が将棋以外のことに気を遣い、疲れてしまわないか心配である。

忘れていた師匠の誕生日

 現在、進行中の王将戦の挑戦者決定リーグを制すれば年明けから渡辺明王将(三冠)に挑戦し、五冠も目指す。文本さんは「まだ挑戦者になったわけではないですが、渡辺さんも簡単に負けるはずはない。今季、豊島さんはあまりにも聡太とばかり当たってしまったのも不運だったかもしれません。タイトル(叡王)を奪われ竜王戦も連敗し、短い手数で終わってしまった第3局なんかは、気持ちがぽっきり折れてしまったようにも見えました」と慮る。

「敗北を悟った豊島さんはすべての駒をきちっと使って形を作り、丁寧に頭を下げたあの姿。本当に棋士としての美しい姿でした」と称賛した。

 藤井聡太が快挙を達成した13日は師匠の杉本昌隆八段の53歳の誕生日。(奥方も誕生日だそうだ)。それを記者に問われた弟子はなんと「忘れていました」。

 弟子とはいえライバルでもある現役棋士の杉本氏には言えないような諫言を、文本さんは時折、愛情ゆえに教え子へのメッセージとして語ってくれる。しかし藤井聡太ファンから批判されることもあるという。その昔、既に一流棋士だった豊島は同郷の小学生藤井に「稽古」をつけてくれたこともある。将棋を心から愛する文本さんの、教え子のみならず、そのライバルにも向けられる温かいエールに筆者は感動を覚えた。

粟野仁雄(あわの・まさお)
ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に「サハリンに残されて」「警察の犯罪」「検察に、殺される」「ルポ 原発難民」など。

デイリー新潮編集部

2021年11月21日掲載

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